Category: Sokai no ichizoku

アウシュビッツ強制収容所の解放から70周年

学生の頃から、いつか果たさねばと気にかかる「義務の旅」があった。 大学に入って間もなくゲオルグの小説「二十五時」を読み、アラン・レネ監督「夜と霧」を新宿の名画座で見終わった時 、バラ色の切符を握り締めて「遠くまで行くんだ」と田舎から出てきたボンクラ学生は、いきなり「現代」の終着駅「アウシュビッツ以後」まで運ばれてしまった。

鳳仙花

2年前から韓国系の若者たちにまじってトロント・コリアン映画祭(TKFF)にかかわっている。今年4回目を迎えるTKFFは、公的援助金はなく、資金の全てを寄付や広告、入場料でまかなっている草の根の映画祭だ。その自立心と心意気に惚れてしまったのかもしれない。「組織とは距離を置くべし」という物書きの自戒をやぶって、「広報係」を務めている。

終戦から70年 − よみがえった朝日軍伝説

1988年、第二次大戦時に日系人に対してなされた強制収容と財産没収は「人種差別に基づく過った政策であった」とカナダ政府が日系社会に謝罪した。この時、 ロジャー・オバタ(元飛行機関連会社社主)、ウェス・フジワラ(内科医)等のリドレス活動家は「これでやっと一級市民になれた」と感じたという。

トロント近郊の公園と学校に日系人の名

10月28 日から3日間、鳥取県境港市役所内で「北極のクリスマス」と題された小さな展示会が催された。 トロント在住でイヌイットの壁かけ収集家として知られる岩﨑晶子さん所蔵の20点と、 2005年に93歳で死去した鳥取県出身の アーティスト・濵田花子さんの押し花カード数十点が展示された。

「ホラー」噺を語ることの意味をさぐってみよう

1994年からトロントで「語りの会」を主宰している。「押しつけられて仕方なく一回だけ」のはずが、自分も語り手となった時、ハマってしまった。英語の語りのみならず、詩の朗読、歌やダンス等、なんでも「可」という良い加減な姿勢が長続きの秘訣かもしれない。

TVドラマ『花子とアン』の原作『アンのゆりかご』を読む

村岡花子(1893~1968)が和訳した『赤毛のアン』の一節である。花子は、この原本のルーシー・モード・モンゴメリー(1874~1942)作『Anne of Green Gables』(1908年刊)を、戦争直前にカナダへ帰国することになった宣教師のミス・ショーから友情の記念として手渡された。そして、自室で隠れるようにこの敵国の本を和訳し続けた。「曲がり角」の向うの明るい未来を信じていたからだ。

<追悼>「ハーレムの母」と慕われた日系米人二世 ユリ・コウチヤマ(1)

人との出会いは時に「 一目惚れ」という化学反応を起こして、予想もしない変化を人生にもたらしてくれる。中澤まゆみ著「ユリ」を再読してそう思った。日系米人二世ユリ・コウチヤマの人生は、生涯の伴侶となるビルと、39歳で暗殺されたブラック・モスリム運動のリーダーのマルコムXとの出会いで大きく変化した。

萬蔵が行く(7)

 リドレス活動家の二世ロジャーオバタと水薮幸治氏が何度か僕に呟いていた。ほとんどの一世が個人補償を追求するNAJCに背中を向けていた中で、「トロントの北村高明さんと、ケローナの角野本太さんはNAJCを支持してくれた希有な一世だった」という。角野さんの半生記を掲載し、北村さんにはシューマック通りのお宅に何度も呼ばれて話を聴かせていただいていたので「希有な一世」であることはよく理解していた。特に北村さんは、静かな明治男の気風を秘めた正義漢だった。今も尊敬して止まない。正確を期すと、 一世の中ではリーダー格だったバンクーバーの田頭ハツエ、トロントの平松豊志の両氏もNAJC支持派だった。

萬蔵が行く(6)

高村光太郎の詩「道程」に「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」とある。冒険者を魅了する言葉だ。だが、ある山男曰く、山登りでは「君の前にトイレはない。君の後にトイレはできる」なんだそうだ。「後塵を拝す」という言葉があるけど、後から来た登山者には目障りかもね、というと、「いや、あれはケルンみたいなもんだ。人間がいたことの証明だ」と笑い飛ばした。

萬蔵が行く(5)

世界には日本人の名を冠した山が三つあるという。2011年のUemura Peak・グリーンランド(探検家・植村直己)、1984年の Mt. Nagata・南極大陸(南極観測隊長・永田武 )、そして、1977年のMt. Manzo Nagano・カナダ(日本人移民第一号・永野萬蔵 )。