MEETS: ヘア・メイクアップアーティスト&ロックンローラー Yuri Ishii

—えっと、、肩書きはスタイリスト兼ロックンローラーでいいのかな?

 バンドはロカビリーだけどロックンローラーでいいや(笑)

—そうだね、その方がしっくり来るかな(笑)

 バンクーバーに来たのはいつですか?

 バンクーバーは99年ぐらいかな。ワーホリで最初は来たのね。

バンクーバーに来る前にカリフォルニアのオレンジカウンティーに留学に行ったの。その時は留学が目的じゃなくって、ただ日本を脱出するため(笑)。

その時は既に日本で美容師をやってたのね、で、オレンジカウンティーで働いてた日本人の美容師さんに出会ってものすごいカルチャーショックを受けてしまったの。

「もう、日本に戻って働くなんて絶対無理!」って見えてしまったの。

90年代といえばサロン業界はものすごく厳しい時代で、休憩が15分しかなくて、弁当は飲むように流し込み、スタッフはみんな早食いの胃下垂(笑)

立ちっぱなしで座れるのは弁当とトイレの時だけ。美容師ってほぼ全員タバコをスパスパ吸ってた。まだタバコが室内で吸える時代だったのよね〜。めっちゃアンヘルシーだったよね。

Photo by Sleepless Kao

ーそういえばそうだ!今では考えられない!

 カリスマ美容師とかが出てきた時代で、キムタクが美容師のドラマも流行ってた。

ーうわ〜時代を感じる、『ビューティフルライフ』だっけ?

 私はそのドラマ見てないんだけど、年がバレるよね(笑)

で、美容師の友達の仕事ぶりを見てたらびっくり。日本だったらステーションの横でテニスのボールボーイのように直立不動なのに、お客さんの横で雑談しながらコーヒー飲んだりしてるの。もうありえない!って衝撃的だったの(笑)

日本だったら働いてるところで食べたり飲んだり、キャンディを舐めたりなんて絶対できなかったじゃん?

カリフォルニアに残りたかったんだけど、日系のサロンもぜひ働きに来てって言ってくれたんだけど、そのサロンの雰囲気がアメリカの古い美容院っていうノなんて言ったらいいかな〜昭和感が否めなくておしゃれとは程遠い感じでノ自分の思ってたのとは違ったので、学生ビザでそのまま遊んでたの(笑)

—何を勉強してたの?

 ただの語学学校。学校はお金払ったらビザ出すよ、みたいな学校で5年をもらったんだけど結局お金が尽きちゃって2年弱しかいられなかった。

 バンクーバーはワーホリ制度があるからバンクーバーでコネ作ってまたカリフォルニアに行こうって思ってた。

 ロブソンストリートにある『コンビニ屋』の求人情報が貼ってある掲示板を見てたら「ここの美容院どう?」って言われて「明日から来る?」ってオーナーに言われてそこで決まっちゃった(笑)

 その『Suzuki Hair Salon 』で8年くらい働いてた。移民が取れるのに4年半ぐらいかかった。その間もカットを競うヘアショー用のカットや技術を学べる環境のイギリスのフランチャイズ『Tony&Guy』で働きたいとずっと思ってて、同じ系列の『essentials London』っていうサロンで働き始めたらそこがすぐ潰れちゃった。

“明日で閉めるぞ”って言われてめちゃくちゃ焦った。コンピューターが主流の時代ではなかったから、予約名簿を全部紙に書き写して、クライアントに電話して、本当に大変だった。

 その後、Yaletownにある「L’atelier Hair Boutique」っていうアーティストのおじさんがやってるサロンに移った。そこのオーナーはアーティストを支援していて、よくアートイベントなんかをやってた。私もエミリーカーでファインアートを取ってて絵を描いてたので、サロンの壁に飾って売ってたりした。

ーお〜、カッコいい。ヘアスタイリストでアーティスト

うん、2枚くらい売れたよ。そのサロンもオーナーのおっちゃんもすごい好きだったんだけどやっぱり潰れてね(笑)“明日で閉めるぞ”って(笑)

—そんなに何度も閉店に出くわす!?

 オーナーのおっちゃんは悪い癖があってね、『プレイボーイ』の雑誌に出てくるような女に貢ぎすぎちゃって店が潰れたの(笑)

Photo by Sleepless Kao

—そこにはどのくらいいたの?

  4、5年いたなー(笑)その店があったブロックにはヘアサロンが5軒あって、スタイリストの間で交流はあったの。オーナーのおっちゃんが隣のサロンの『AVANT GARDE』のオーナーに話をつけてくれたんだけど、今までは歩合制だったんだけど、新しいところは完全チェアレンタル制で、自分がやっていけるか勇気がなかった。“Yuriの売り上げだったら大丈夫だよ”って潰れたサロンのおっちゃんが言ってくれたのと、『AVANT GARDE』のオーナーも“不安かもしれないけど3ヶ月やってみて決めたら?お客さんにはYuriは隣の店で働いてますって張り紙しとけばいいから”って言ってくれたので無理なく移れた(笑)潰れてもすぐ横の店で働けてるの、本当にラッキー(笑)

「AVANT GARDE」で働き出してもう5年くらいかな~。

 

ー話変わるけどロックバンドもやっているんだよね?

 ステージネームは『ユリ・ベイビー』。

 友達の彼氏がバンドやってて、“女子でドラマーが欲しいんだけど、やんない?”って言われて練習で一回セッションしてそのまま今に至る(笑)

 ロカビリーバンドで多いときは週3連チャンでパーフォーマンス。始めた頃はリハーサルも週2回あって、ヘアサロンの仕事から帰って化粧を直して自分の部屋からドラムセット全部持ってエレベーターで2、3往復。あざだらけになりながら車に乗せてノ台車を持ってなかったからスケボーに乗せてた(笑)

 ライブハウスでドラムセットを運ぶのを苦戦してるとストリートピープルに“大丈夫?手伝おうか”って言われたり(笑)

 演奏終えて郊外から帰って家に着くのが午前3時、市内で演奏でも1時になる。それで次の日の朝9時、10時にサロンに出勤。(私の年考えてくれる?)って思った(笑)

 日本ではバンドでギターをずっとやってたんだけど、ドラムは趣味でやってたから自信はなくって。。。それがライブの日にちを決められ、練習が始まり、演奏であちこち行ったよー。ソルトスプリングやサンシャインコースト、パウエルリバー、オカナガンも行ったし、ケローナやバンフの手前まで行った。

 次はアメリカに3ヶ月くらいツアーに行くからって言われてるんだけど「私の本職はバンドじゃないんだよ」って言っていつも断ってる(笑)

photo by Koichi Saito

ーツアー時はサロンの仕事はどうしてるの?

 チェアレンタルでフレキシブルだから休みを入れられる。長期になっちゃうとおじさん助っ人ドラマーに頼む。そっちの方がキャリアもあるし明らかにうまいの。”助っ人でいいじゃん”ってバンドマスターに言うんだけど、“それだとただのおじさんバンドだ。女子がいないとね”って言われて(笑)

ーそりゃそうだ、華のある女子がいる方が見てる方も楽しいよ〜。Yuriちゃんは金髪かピンクのイメージがあるけど、いつも髪の色は明るいの?

 日本にいた時からブリーチして昔からピンクだったりしたよ。この前97年くらいのパスポート出てきて今と髪の色が一緒だった(笑)

—ヘアサロンの予約はコロナの状況でどんな感じでしょうか?来店に当たって注意すべき点とかありますか?

 来店にはマスクをして来るのは必須。

 5月19日からサロンシステムがガラリと変わってスタッフは全員出勤できないので交代制。店内のレイアウトも変わって装飾品も取り払って、雑誌なんかは店内に置けないし、サービスで出していた飲み物も廃止。お客さんは外で立って待機なので予約時間ピッタリに来て。

 道具から何から全て医療用の消毒液で消毒をしなければならない。ケープも使い捨てのプラスチックになってしまって全然エコではないの。料金体制も変割っていくんじゃないかな。予約をとることが大変になってくるので1ヶ月前とかに入れておく方がいいと思う。

 詳しくは私のウェブサイトに書いてあったりするから見てもらえるといいです。

—最後に一言!

 地球平和、世界平和、ハッピーでいることが一番!

ーインタビュー楽しかったです。ありがとうございました(笑)

 世代が一緒で同じニオイ?がするせいか取材というよりとてもフランクに楽しいおしゃべりができました。ロックというと不良なイメージがあって(いつの時代だ。笑)身構えてしまうのですが、Yuri Babyのドラムプレイを見に行きたくなりました。コロナが終結して早くライブが再開することを祈ります。

 

ウェブサイト www.yulissimo.com

インスタグラム yulissimo

 Avant Garde Hair Studio

Coal Davie and The Rockabillionaires

 

[文:Sleepless Kao