編集後記 2018年5月

Kazuho Yamamoto

 八重桜(牡丹桜)の時期になりました。私の住んでいる地域にも結構木があるので春の訪れを感じさせてくれます。赤く色づいた葉っぱを見ると桜餅を思い出してよだれがダラ〜、なのは私だけでしょうか(笑)

 4月14日・15日にバンデューセン・ボタニカルガーデンで開催された「桜デイズ・ジャパンフェアー」はお天気に恵まれ、一万人以上の来場者があったそうです。今年で4回目になりますが、私はボランティアとして参加させてもらいました。昨年に続いてメインステージのエリアに設 置された「Flavours of Japan」テントを担当しました。

 今年は昨年大好評だったVan Koji Foodsの都奈美さんによる塩麹料理に加えてカルガリーからKnifewearのなおとさんをお招きし日本の包丁の種類と用途について、日本からは聖工房の山本将史さんが来加し包丁作りのデモが開催されました。どのデモも毎回勉強の連続で、他のボランティアの子達とも日本文化は素晴らしいね!のコメントの連続でした。

 中でも包丁作りのデモには圧倒されました。小さな鉄片が熱され、真っ赤になったそれが叩かれ、伸ばされ包丁の形に変形していく工程は今までテレビや写真で一端を垣間見たことはありましたが、間近で見れるとは思ってもいませんでした。

 デモと包丁についての質問や名入れの対応で忙しい合間、山本さんにお話を伺うチャンスがありました。日本から輸入されている包丁、高そうな印象がありましたが日本で質のいい包丁を買うのとほぼ変わらない値段が付いていました。こんな安くていいんですか?と聞いたら今の値段で十分頂いていますから、といかにも職人!といった返事が。包丁を使ってもらっているお客さんから使い心地の良さや、包丁が語りかけてくるといった感想を聞くと嬉しいとお話してくださいました。生放送で「プロジェクトX」「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ているかのようで、思わず話を聞いていたボランティアの子と一緒になってうるうるしちゃいました。

 海外にいると日本文化と離れがちな面もありますが、こうしたイベント等で日本にいたら体験できていたかわからないような

文化に触れるチャンスがあったりします。また、日本にいた時は大事だと思っていなかった文化・習慣を再発見する機会になったりもします。鍛冶屋の山本さんも海外への輸出が多くを占めているというお話でした。日本の伝統的な職人文化が失われ始めている今日、海外に進出していくことが生き残りにつながるという話をちらほら聞きます。海外にいる日本人も含め、伝統文化を次の世代につなげていくには我々消費者の選択も重要だということを改めて感じさせられました。

KAO (a.k.a. SleeplessKao)

櫻に想う

 春は始まりと終わりの季節であるように思います。先日従姉妹が病気で亡くなり、急遽日本に帰ることになりました。知らせを受け日本に飛び立とうと旅行社に電話をするも、ちょうど春休みとイースターが重なっていたため席がなく、用意できるのはビジネスクラスと言われました。ご存知の方もいると思いますが、家族の生死にかかわる事態がおきた時*Bereavement faresという特別な料金体系が存在します。従姉妹は私にとっては家族以上の存在でしたので、すぐに帰りたかったのですが、旅行会社に問い合わせると三親等なので適用外ということでした。『親等』などと言わず、気持ちの優先順位というものが図れればどんなに良いだろうか。

 日本に帰り従姉妹の家を訪ね、線香をあげ、亡き人を偲んで思い出話などしていた折、叔父が亡くなったとの知らせを受けました。叔父というのは従姉妹の父親になります。私の叔母からしてみると数週間のうちに娘と夫を亡くしたことになったのです。急いで叔母の家に行くと家は留守で、しばらくすると葬儀屋と一緒に叔父の遺体が運ばれてきました。家で亡くなっていたので、遺体を一旦病院に運び死因を確認してきたそうです。(検視官を家に呼ぶと料金が多々かかるので気をつけて下さい)

 自然死ということだったのですが、叔父(父)の介護をする年老いた叔母(母)を心配した従姉妹(娘)があの世に一緒に連れて行ったのではないかと人々は口にしました。葬儀屋が手際よく部屋をしつらえ、お布団に横たわっている叔父は、寝ているかのように穏やかな顔をしています。僧侶がやってきて20分ほど(これは長いそうです)丁寧にお経を唱えていきました。

 従姉妹の葬儀を終えていたせいもあり、家族もご近所の方たちも役割分担ができていたのでしょう、見事な連携プレーでした。 

 美しい庭園の法華経のお寺は、厳かな雰囲気に包まれ、僧侶の所作や読経、焼香などが私にはとても美しい儀式に映りました。四十九日まで続くので、ゆっくりと人々は悲しみを和らげていくことができるのだろうと思います。私も叔父の葬儀に立ち会うことができ、なぜか従姉妹の魂にも触れ合った気がしました。葬儀の後に近しい者たちでお寺の居間で飲んたり食べたり、久々に会った人たちと語らって会は終わりました。

 従姉妹の長女は子供を授かったばかりなので、生まれてくる子供は彼女の生まれ変わりだろうと言われています。

 従姉妹の法名(桜がさく頃と彼女の俗名から名付けられた)が書かれた位牌、「釋尼櫻美等正覚」(シャクニオウビトウショウガク)を読み、「始まりと終わり」「生と死」を象徴するかのように美しく咲き誇って散っている桜を日本で、そしてバンクーバーでも見て、美しいなぁとつくづく想うのでした。