Category Sokai no ichizoku

戦後70周年:一世・川尻岩一(2)

第2次大戦中の日本列島を俯瞰すると、 東京が日本の心臓部なら、沖縄は日本の「ヘソ」に見える。その下の右脚は東南アジアに伸び、左脚は東のメラネシアを目指していた。米軍が沖縄を狙ったのも当然で、そこが日本の「重心」だからだ。米軍 の極東戦略にとって沖縄の重要性は今も変わらない。
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戦後70周年:一世・川尻岩一

老一世にインタビューしていると、もし自分が、あの日、あの時、あの場所にいたら、いったいどう対応していただろうと思うことが多々あった。その意味で、1993年に川尻岩一さん(当時94歳)をトロントのシニアホームに訪ねた時のことは忘れられない。「後世に遺して置きたいので、話を聴いてくれませんか」と乞われて2度出かけていった。
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アウシュビッツ強制収容所の解放から70周年

学生の頃から、いつか果たさねばと気にかかる「義務の旅」があった。 大学に入って間もなくゲオルグの小説「二十五時」を読み、アラン・レネ監督「夜と霧」を新宿の名画座で見終わった時 、バラ色の切符を握り締めて「遠くまで行くんだ」と田舎から出てきたボンクラ学生は、いきなり「現代」の終着駅「アウシュビッツ以後」まで運ばれてしまった。
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鳳仙花

2年前から韓国系の若者たちにまじってトロント・コリアン映画祭(TKFF)にかかわっている。今年4回目を迎えるTKFFは、公的援助金はなく、資金の全てを寄付や広告、入場料でまかなっている草の根の映画祭だ。その自立心と心意気に惚れてしまったのかもしれない。「組織とは距離を置くべし」という物書きの自戒をやぶって、「広報係」を務めている。
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終戦から70年 − よみがえった朝日軍伝説

1988年、第二次大戦時に日系人に対してなされた強制収容と財産没収は「人種差別に基づく過った政策であった」とカナダ政府が日系社会に謝罪した。この時、 ロジャー・オバタ(元飛行機関連会社社主)、ウェス・フジワラ(内科医)等のリドレス活動家は「これでやっと一級市民になれた」と感じたという。
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トロント近郊の公園と学校に日系人の名

10月28 日から3日間、鳥取県境港市役所内で「北極のクリスマス」と題された小さな展示会が催された。 トロント在住でイヌイットの壁かけ収集家として知られる岩﨑晶子さん所蔵の20点と、 2005年に93歳で死去した鳥取県出身の アーティスト・濵田花子さんの押し花カード数十点が展示された。
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「ホラー」噺を語ることの意味をさぐってみよう

1994年からトロントで「語りの会」を主宰している。「押しつけられて仕方なく一回だけ」のはずが、自分も語り手となった時、ハマってしまった。英語の語りのみならず、詩の朗読、歌やダンス等、なんでも「可」という良い加減な姿勢が長続きの秘訣かもしれない。
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<追悼>「ハーレムの母」と慕われた日系米人二世 ユリ・コウチヤマ(2)

1960年代、北米も日本も社会全体が「闇鍋」と化してふつふつと煮立っていた。東西冷戦、60 年安保、ビートルズ現象、ベトナム戦争、人種差別反対運動、民族自決運動、水俣病。未曾有の経済発展と広がる貧富の差。
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TVドラマ『花子とアン』の原作『アンのゆりかご』を読む

村岡花子(1893~1968)が和訳した『赤毛のアン』の一節である。花子は、この原本のルーシー・モード・モンゴメリー(1874~1942)作『Anne of Green Gables』(1908年刊)を、戦争直前にカナダへ帰国することになった宣教師のミス・ショーから友情の記念として手渡された。そして、自室で隠れるようにこの敵国の本を和訳し続けた。「曲がり角」の向うの明るい未来を信じていたからだ。
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