
萬蔵が行く(5)
世界で最初に日本人名が冠された山
Mt. Manzo Nagano
世界には日本人の名を冠した山が三つあるという。2011年のUemura Peak・グリーンランド(探検家・植村直己)、1984年の Mt. Nagata・南極大陸(南極観測隊長・永田武 )、そして、1977年のMt. Manzo Nagano・カナダ(日本人移民第一号・永野萬蔵 )。1997年に、自身もBC州のマンゾー山に登頂したことのある登山家・藤原謙二さんがブログでこう記している。
日系百年祭の仕掛人たち
1977年、連邦政府地名委員会は日系移民百年祭を記念して、ロッキー山脈の一峯に日本人の名前を付けた。これを提案したのはリドレス活動家として知られるロジャー・オバタ、1923年に病床の永野萬蔵を長崎県口之津に訪ねてから移民してきた一世・北村高明、そして “Nikkei Legacy”の著者で元ニューカナディアン英語編集者のトヨ(アキ)・タカタ等だった。三人とも存命中は親しくさせていただいた。特に晩年のトヨさんは日系ボイスをよく訪ねて来た。「日系史を語り合える人が少なくなりましたね」とぼやきながらも、日本語編集者の僕と英語編集者ジェシー・ニシハタを相手に日英チャンポン語でよくおしゃべりしていった 。
2002年3月に82歳で他界する数ヶ月前に、トヨは娘さんを伴って事務所に現れた。ジェシーと会うことになっていたのかもしれないが、不在だと告げると、しばらく待ってみたいとドアの横の椅子に座ったまま動かなかった。 娘さんは所在無げにずっと横に立ち続けていた。僕は忙しくて話し相手をしてあげられないのを心苦しく感じていたが、約束をすっぽかしたらしいジェシーにいらだってもいた。その頃までにはジェシーの認知症は深刻になっていて 、2001年の年末に退職する頃には業務をこなすのが困難になっていたのだ。
トヨさんは古い日本の絵葉書の束を差し出して、「あなたが持っていたほうがいいでしょう」と置いていった。今思うと、最期のお別れに来たのだと思う。こうして櫛の歯が抜けるように、日系史にとって極めて貴重な知識と体験の持ち主が次々と逝ってしまった。僕は「どうしてちゃんとインタビューしておかなかったのか」と我が身の不明を悔やんだが、誰も自分の死期は予見できない。取材の約束はいつも延び延びになっていた。1988年、トロントスターのコラムニストで、 “The Enemy That Never Was” (1976)の著者ケン・アダチが自害し果てた後、日系史全体を語る知識の持ち主は、トヨくらいしかいなくなっていた。
トヨ・タカタは日系人の名前が付されたカナダ各地の地名を調べて記事にしてもいる。建物に人の名前を冠しても永続性はないが、山や川ならば永遠の遺産となるのである。

氷雪のピークに立つ達成感
1977年の「マンゾー山」命名の後、直ぐに永野家の後裔は登頂計画を立て始めたという。そして、1979年7月25日、登山経験の豊富な萬蔵の曾孫3人(スティーブ、デビッド、ジミー)を含む5名のパーティがその山頂に立った。
1903年にロサンゼルスで創刊された日系紙「羅府新報」は、今も発行され続けている。その1980年の記事(第22956号)に、初登頂報告を兼ねた祝賀会が、萬蔵の長男ジョージ辰夫(当時90歳)宅であったことを伝える深沢和子記者の記事が掲載されている。
要約すると「一年半をかけて登頂を準備し、1979年7月の休暇中に挙行した。第1日目は、半日をかけてヘリコプターで海抜1280mにあるオイケノ湖に到着。絶壁に囲まれて山頂へのルートが見つからなかった。2日目は、空も見えない深い森林の谷に迷い込み疲れ果て、得体の知れない虫にさされた。3日目の早朝。岩また岩を登り切ると、目前に雪に覆われた高原が広がり、彼方に山頂が見えた。雪原の尾根に沿って登行したが、強風のため半日がかりでやっと山頂に達した。 記念の銅板を岩に打ち込み、バンザイ!を繰り返した。下山に1日半を費やした」。
スライドを使った報告は「手に汗握るほど迫力があった」という。最後に、マンゾー山をかたどったケーキを切って乾杯したとある。当時90歳の辰夫翁は、見晴らしのよいベランダで寛いでいたというが、ロサンゼルス近辺には辰夫の末裔が数十人いると記している。
この初登頂から18年後、今度はカナダ在住の萬蔵の次男フランク照磨の末裔を含む7名が登頂した。これは日系移民120周年を記念して、ランディ・エノモトNAJC会長(当時)が率いた登山隊だった。1979年の初登頂は永野家の単独企画だったが、1997年の登頂はリドレス成立後ということもあって、日系コミュニティ全体が関与し、各地から集めた未来へのメッセージをカプセルに入れて山頂に運んだ。さて、どんなメッセージだったのだろう。この120周年記念登山に関しては来号で記したい。

Photos courtesy of Stephen Nagano
[文・田中裕介]
*題字の《滄海一粟(そうかいのいちぞく)》とは大海原に浮かぶ一粒の粟のこと。