Meets: Seiji Kuwabara

 年初めの『Meets』はファニチャーデザイナーのSeiji Kuwabaraさん

 Kuwabara君とは90年代後半からアートを通じて親しくさせていただいてるのですが、これまで一緒に仕事をしたことはなく、Kuwabara君が2月に「Visual Space Gallery」で版画家の峯岸伸輔さん(2018年、7月号で取材した)と2人展をするということでインタビューしてきました。(いつもは名前は呼び捨てなのですが、取材なので今回はあえて『君付け』で(笑)

Photo by Sleepless Kao

—改めて取材するとなると…どこからはじめようか…Kuwabara君の事はもう知ってるからな

 もう取材をしなくてもいいんじゃないか(笑)とりあえず、この取材が2019年度の僕の仕事始めですよ(笑)

Photo by Sleepless Kao

—お互い初めて会ったのは90年代後半…覚えているのはCommercial Driveにあったギャラリーで私の個展のオープニングにふらっと入ってきたのがKuwabara君ですよ。

 そうだっけ? 会ったのは99年ぐらいだっけ? 僕は91年に移民して来たんだけど…91年はまだアート活動をするとかは思ってもいなくてアートにも興味なかった感じかな。

 働かなきゃいけないからその当時は就職してツアーガイドをやってたんだよね。でも観光・遊びで来ている人たちのアテンドが嫌でしょうがなかった。

—どのようにして「ものづくり」に移行していったのかな?

 姉貴のデザインプロダクション会社がコニシボンドの雑誌を製作と編集していて、その中の缶アート特集の制作チームにいた…それが「ものづくり」で収入を得た初めての仕事かな。昔から手は器用だったんだよね。

 

 バンクーバーに来てから自分探しをする人は多いと思うんだけど、自分もそんな感じ。CICという学校に行っていた時の友達がアート活動をしてる人が多くて、卒業後もその人たちとつるんでた。生計はツアーガイドをしながら皆でガラクタを集めて「ものづくり」をしていたよ。

 友人たちと家を借りてガラージをアトリエとしてアート活動してた。かっこいいものを作って世に繰り出したいと思ってね(笑)

やり方もわからないから…最先端アートはNYからポップアート、ストリート系、音楽、何でも発信していたと思ってて、それらの見よう見まねで始まった。

—作ったもの、何覚えてる?

 ホワイトグルーに新聞紙を浸していびつな人の顔のオブジェなんかを作ってたな。今とは全く違う作品。工事現場のガベッジダンプに入り込んで、ワイヤーだのプライウッド等を拾ってきて、組み立ててなんか作って…自己満足の世界(笑)

 当時は売り方もわからないし、買う人もいない…まず人目につく場所に置くということをしていった。

—Kuwabara君の作品は覚えているよ。Exitサインの人型のオブジェに黒板ペイントを吹き付けたランプとか作ってなかった?

 よく覚えてるね。そうそうその頃はブリックにLucky Strikeのタバコの絵を描いて灰皿にしたものを「斎藤カナダ」に置いてもらってた。店では売れなかったけど友人が購入してくれた(笑)

「餃子パラダイス」というレストランに友人たちとアートを置いてもらってパーティをしたり…僕は「Peace Gyoza」というフライパンの上で餃子がピースしてるオブジェを作ってオーナーにラーメンおごってもらった(笑)

—木工に移行したのは?

Photo by Yukiko Onley

 96年に。94、5年から家具を作りたいと思い始めてはいて…機能的なアートとは何かを考えて職人の道を考えていった。勉強嫌いだったので学校には行かず、木工をやっている「Sam’s woodworks」の門を直接叩いて実戦で学んでいった。主にキャビネットを作って、3年修行して基礎を学んだ。木に関わるもの全て手がけた。

 土日の休みの時なんかは工房を借りて自由でアート的な自分の作品を作ってたよ。 

 いずれ独立をしようと思って資金を貯めるべく日本に2回出稼ぎに行ったりもした。95年は知り合いの酒蔵で酒作って、99年は長野のレタス畑で結構稼いだんだけど、カナダに戻るのにタイ経由で寄ってみたり、イタリアで世界最大の家具見本市があるからって行ったり、帰ってきた時にはなぜかお金がすっからかんになってるっていう…(笑)呑むと気が大きくなっておごっちゃってなくなっちゃったんだよね〜(笑)

—そういうのは自制できないのかしら?

 できなかった(笑)バカだよね、「夢」は持ってるんだけど若い時って今だけを生きてるんだよね。明日を見てるんだけどねー。

—見れてねーよ、それ(大笑)

 (笑)これじゃあいかんと、そういう時がくるよね。それで終わっちゃったら、ただのバカだから。

 それからワークショップスペースを確保するのに奮闘して…ジャパレスでバイトしてた時に新聞のクラシファイドで「Live & Work Studio」というものを知った。地下にワークショップスペースがあるアーティストが住む建物「ARC」に2000年に移り住むことができて、そこから本格的に独立して当時は屋根の補修からサンデッキ、IKEAの家具の組み立てまで何でもやった。

 さっき話に出た「Exitランプ」はCommercial Driveにあった「Doctor Vigari」というギャラリーに置いた、僕のデビュー作品です。ランプは結構ウケが良くて、ポートフォリオ持ってあちこちに売り込みにいった。人目に触れて「Western Living Magazine」というホームデコレーションの雑誌に取り上げられたりもしたよ。

 道はパッションとか努力でいくらでも広がるじゃない?でもやっぱLUCKもあるよね。僕にとっては「場所」も結構大きくて「ARC」に住めたことで「Eastside Culture Crawl」に参加することができてそこから飛躍していった感じ。

 若い時に「流行はNYから吹いてくる」なんてかっこいいこと言ってたけど、18、19歳の時にNYを訪れて街のエネルギーに圧倒させられたんだよね。いつかこの地に自分の作品と共に戻って来たい強い思い入れがあって、パートナーのHimaliと「In Element Designs」を発足して彼女のマーケティングのサポートもあって28年かけて「icff家具見本市」という大きな場に出展できたのは感慨深いです。

—来月2月に「Visual Space」で紳助さんと2人展をやりますよね?

 はい、「Visual Space」での展覧会は2回目になりますが、初めてアートオンリーで展示させてもらいます。

—どんなアートなんでしょう?

Photo by Yukiko Onley

 前回はランプなどプラクティカルなものを見せたけど、今回全くのアートオンリー。家具っていうのは座り心地とか耐久性とかも考慮してデザインしなければならないんだけど、そういうものに縛られず自由な発想で「無限体」を表現していこうかな、っと。

木がベースでローカルのレッドシダー(杉)を使っての彫刻作品。全てに火を炙って磨き上げて木目を浮き立たせました。球体、オーガニックシェープをメインに作ってます。「足かせ」の形をしたものや大きなチェーンを木で作ってます。繋がりと解放を自分の中ではテーマにしていますが、あとはもう皆さんの個々の感じ方で感じていただければと。逆に皆がどのように感じるか楽しみです。

 Struggleした90年代を経てあの時代があったから今に繋がる。「痛みからの解放や、不安からの解放」を表現したSeiji Kuwabaraの作品を私も是非見に行きたいと思っています。

 二人展のテーマ「connection-繋がり」2月の8日から27日。オープニングレセプション、2月9日土曜日、3時から6時まで

「Visual Space Gallery」にて 。www.visualspace.ca

Seiji Kuwabara ウェブサイト

Instagram: @inelement

Facebook: InElementDesigns

[文:Sleepless Kao