Category Sokai no ichizoku

<追悼>「ハーレムの母」と慕われた日系米人二世 ユリ・コウチヤマ(1)

人との出会いは時に「 一目惚れ」という化学反応を起こして、予想もしない変化を人生にもたらしてくれる。中澤まゆみ著「ユリ」を再読してそう思った。日系米人二世ユリ・コウチヤマの人生は、生涯の伴侶となるビルと、39歳で暗殺されたブラック・モスリム運動のリーダーのマルコムXとの出会いで大きく変化した。
Read More<追悼>「ハーレムの母」と慕われた日系米人二世 ユリ・コウチヤマ(1)

萬蔵が行く(7)

 リドレス活動家の二世ロジャーオバタと水薮幸治氏が何度か僕に呟いていた。ほとんどの一世が個人補償を追求するNAJCに背中を向けていた中で、「トロントの北村高明さんと、ケローナの角野本太さんはNAJCを支持してくれた希有な一世だった」という。角野さんの半生記を掲載し、北村さんにはシューマック通りのお宅に何度も呼ばれて話を聴かせていただいていたので「希有な一世」であることはよく理解していた。特に北村さんは、静かな明治男の気風を秘めた正義漢だった。今も尊敬して止まない。正確を期すと、 一世の中ではリーダー格だったバンクーバーの田頭ハツエ、トロントの平松豊志の両氏もNAJC支持派だった。
Read More萬蔵が行く(7)

萬蔵が行く(6)

高村光太郎の詩「道程」に「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」とある。冒険者を魅了する言葉だ。だが、ある山男曰く、山登りでは「君の前にトイレはない。君の後にトイレはできる」なんだそうだ。「後塵を拝す」という言葉があるけど、後から来た登山者には目障りかもね、というと、「いや、あれはケルンみたいなもんだ。人間がいたことの証明だ」と笑い飛ばした。
Read More萬蔵が行く(6)

萬蔵が行く(5)

世界には日本人の名を冠した山が三つあるという。2011年のUemura Peak・グリーンランド(探検家・植村直己)、1984年の Mt. Nagata・南極大陸(南極観測隊長・永田武 )、そして、1977年のMt. Manzo Nagano・カナダ(日本人移民第一号・永野萬蔵 )。
Read More萬蔵が行く(5)

萬蔵が行く(4)

 1923年、萬蔵の最期を郷里の口之津で看取ったのは後妻の多與だった。最初の妻ツヤは1893年、第二子出産の直後に23歳で他界している。その5年後、「京都の古美術商問屋に身を寄せていた美人の多與子を見そめて再婚した」(カナダの萬蔵物語)とある。
Read More萬蔵が行く(4)

萬蔵が行く(3)

かつて幼児の子守りは、祖父母か年長の娘の役割だった。だが、徒手空拳で移民して来た人たちに祖父母を呼び寄せる余裕はなかった。だから、幼い二世を日本の親元に預けて高等小学校を終える頃まで面倒を見てもらうというケースが多かったようだ。その間、移民親たちは身を粉にして働き養育費を親元に送り続けたのである。そして養父母はその仕送りを当てにしていた。
Read More萬蔵が行く(3)