Category Sokai no ichizoku

鮭が生まれた川に戻るように:岸辺慧

70年前の1946年夏、親に連れられて日本へ向かい、成人してから祖国カナダに戻ってきた二世たちはバイリンガルで個性派ぞろいだ。周囲と違っていることをいとわない自立した「個」を感じる。ともすると日系社会の主流に埋没して周囲に気遣いながら育った二世とは明らかに異なっている。この違いはどこからくるのだろう。
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《太平洋往来史》川端家二代の125年(2)

1941年12月7日、ジョージがストラスコーナ小学校に入って間もなく、日本軍がハワイを急襲し、その日から北米の日系人は敵国人と見なされた。翌年3月、川端家は家畜品評会場に詰め込まれた。ただ、やんちゃ坊主には恰好の遊び場だったのだろう。「転んで頭に酷い怪我をしました」と、今も残る傷跡を見せてくれた。
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《太平洋往来史》川端家二代の125年(1)

第二次大戦後の日系人の「追放」を語る上で欠かせない一枚の写真がある。1946年5月、スローカン駅で西海岸へ向かう汽車を待つ人々の写真である。これはケン・アダチ著「The Enemy That Never Was」(1979)の表紙に登場して以来、頻繁に使われてきた。実は、僕はこの写真を見る度に「あ、北村さんだ」と心で呟いている。汽車の来る方向をじっと見つめている右から2人目の女性が北村操子さんで、高明さん(長崎県口之津出身)の妻である。
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《戦後70周年》 ♬♫ 僕らの名前を覚えてほしい…戦争を知らないジジイたち♫♬

先日、ある移住者宅のホームパーティでのこと。皆ほろ酔いかげんになった頃、ある三世が「ちょっと興味があるのですが、あなたたちは日本とカナダが戦争になったら、どちら側に付いて戦いますか」と問いかけてきた。
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