アウシュビッツ強制収容所の解放から70周年

 学生の頃から、いつか果たさねばと気にかかる「義務の旅」があった。 大学に入って間もなくゲオルグの小説「二十五時」を読み、アラン・レネ監督「夜と霧」を新宿の名画座で見終わった時 、バラ色の切符を握り締めて「遠くまで行くんだ」と田舎から出てきたボンクラ学生は、いきなり「現代」の終着駅「アウシュビッツ以後」まで運ばれてしまった。
「アウシュビッツ以後」とは、「ユダヤ人の大量虐殺」によって人間は人間に対する信頼の一切を失ってしまったという喩えである。人間は「神を殺した」とニーチェは言う。西洋文明の文脈で言われたその言説が、アジア人である僕には今一掴めなくて、いつかアウシュビッツ収容所を訪れなければと思っていた。
 ベルリンの壁が崩壊して10年目の1999年、友人でNY在住の日本人演出家がベルリンで芝居を打つと聞いた時、「今しかない」と即決実行した。芝居の進行に合わせて 、スライド写真を繰ってゆく裏方仕事を引き受けた。そして公演前の一週間ほど、東欧を巡りポーランドのクラコフに3日滞在することにした。
 落ち着いた佇まいの旧首都クラコフは、ナチによって早い時期に占領されたために、逆に中世以来の史跡が破壊を免れたという皮肉な歴史が刻まれている。1939年10月、今も「暗い日曜日」と呼ばれるユダヤ人の受難が始まった。その旧ゲットーが町の一角にあった。スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」(1993)の撮影にも使われたところで、今ではユダヤ人の「義務の旅」の目的地になっている。
 ユダヤ教徒が秘密裏に集まっていたという小さな礼拝堂は、何の変哲もない民家のドアを開けた薄暗い部屋の奥に、コの字型の洞窟のように隠されていた。今は蝋燭の灯だけが揺れるカフェになっていて、普通の旅行者は来ない場所だ。現地で知り合った気のいい学生たちが案内してくれた。
 駅前のバス・ディーポーからOswiecim行きのバスに乗って45分ほどのところに、死の収容所が博物館となって遺されていた。「労働が自由をもたらす」と掲げられたゲートの中へ進むと、 十いくつの棟はそれぞれのテーマ毎に遺品と写真パネルで整然と構成されている。まだ小学生にみえる一団が教員に引率されて来ていたが、一巡して出てきた時には顔つきが変わっているのが見て取れた。 僕自身、毛髪で作られた布地の陳列台ではさすがに吐き気を感じた。袋詰め毛髪7トンが倉庫に残されていたという。
 そこからバスで10分のところに旧ベルケナウ収容所がある。約1キロ四方の平地に鉄柵に囲まれた夥しい数の営舎が朽ち果てたまま野ざらしになっている。毎日2万人に及ぶ大量殺戮が行われていたというガス室の土台が、正門から続く線路の突き当たりにあった。横に慰霊碑が並んでいる。

●過去を直視せざれば現在に盲いる

 1945年1月にソ連軍がこの強制収容所を解放してから、今年で70年目になる。今も世界中から年間150万人が訪れるという。帰りのバスで、カナダから来たといういろんな人種背景の学生たちと乗り合わせた。うちの子でもないのに、何だか彼らを誇らしく感じたものだ。
 2000年、東京のホロコースト教育資料館・石岡史子所長の元に「ハンナ・ブレイディ」の名前が記されたトランクが東欧から寄付された。見学に来た子供たちに「この持ち主はいったいどんな女の子だったの?」と尋ねられた。 それが彼女の「義務の旅」の始まりだったという。捜し当てたハンナはガス室に消えていたが、兄・ジョージが生きてカナダにいたのである。この経緯は絵本「Hana’s Suitcase」となり、直ぐに劇としてカナダで上演され、2009年には石岡さん自身が登場する映画まで制作された。
 ここで思い出すのはアンネ・フランクの日記だ。戦後、遺稿が発見されるや、各国で出版され映画化された。一方で、その直後から、アンネなどという人物は実在しなかった等の誹謗中傷が歴史修正主義者から喧伝されてきた。それらは全て検証され正式に世界記憶遺産に指定されている。
 ところが昨年、都内38の図書館にある約300冊のアンネ関連の本のページが破り取られる被害が相次いだ。逮捕された男は手垢のついた陰謀説を動機としていたという。何故こんな時代錯誤が日本で起きたのか。考えてほしい。このニュースがネットで各国に広まると、即座に寄付金が集まり図書は補充された。問題はこの数年、日本の右翼のデモには必ずナチの鉤十字旗と旭日旗が林立していることだ。そのビデオは即座にネット上で流され、世界中が見ているのである。安倍首相はオランダ訪問の際に、アンネの関係団体に出向いて謝罪したという。
  北米に長く住んでいると、人種差別は決して根絶されないだろうということが分る。だからこそ絶えず警戒し指摘し駆除し続けなければならない。警鐘を鳴らすために、カナダには650種類の民族系メディアがあり、100カ国以上の言語で出版、配信されている。移民の多くは他者の言語を使って意思疎通し、感じ方考え方の違う相手と協調し合うのを日常としている。この意味で、「単一民族」社会の日本はいまだに「鎖国」状態のようだ。鉤十字が、如何にユダヤ人やドイツ人の血と骨に滲み付いたトラウマを甦らせるか分らないのだ。粋がって旗を振る日本人の姿がどれだけおぞましくも滑稽であるか、世界中を 「嫌日」にしているかが想像できないようだ。
 昨年の英BBC放送の世論調査の結果では、「日本は世界に悪い影響を与える国」と答えたドイツ人の割合が、中国人、韓国人に次いで3番目に高く46%だった。この3国はかつて日本を宗主国としていた国と盟邦で、日本の過去を知り抜いているのである。元ドイツ大統領・ザイツゼッカーは「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という言葉を遺している。戦後70周年。日本は過去を直視すべき時がきた。

右から東京ホロコースト教育資料館の石岡史子所長、映画「ハンナのスーツケース」、ハンナの実兄ジョージ・ブレイディ(日系ボイス2009年6月号)

右から東京ホロコースト教育資料館の石岡史子所長、映画「ハンナのスーツケース」、ハンナの実兄ジョージ・ブレイディ(日系ボイス2009年6月号)

ベルケナウ収容所跡地(左)とアウシュビッツ博物館の写真(日系ボイス2000年5月号)

ベルケナウ収容所跡地(左)とアウシュビッツ博物館の写真(日系ボイス2000年5月号)

[文・田中裕介]