Meets: 眞鍋恭子さん Notary Public

 眞鍋恭子さんと知り合ったのはまだ彼女がCanadian Tourism Commission(CTC, 現Destination Canada)で働いていた頃でした。アートやデザインの仕事をしていた私に可愛いキャラクターを制作する依頼をして来たのがきっかけです。久しぶりに彼女と再会するとびっくりのキャリアチェンジをしていました。

ー3年ほど前にお会いした時に『Notary Public 』になりたいと言っていましたが夢が叶ったのですね。

『Notary Public 』とはどんなお仕事なのでしょうか?

 簡単に言うと日本の司法書士、行政書士、公証人を組み合わせた様な仕事ですね。

ー日本でも司法書士のような仕事に就くのは難しいと思うのですが、海外でそれを目指すのは並大抵な努力ではないでしょうね。なぜそこを目指したのですか?

 前職はカナダ観光局(CTC)にいたのですが、自分が40歳半ばの時に離婚しまして、それを節目に自分の人生を振り返り(このまま政府の職業に甘んじていていいのだろうか?)と疑問を感じ始めたんです。

ー「離婚」というプライベートな話をぶっちゃけちゃっていいんですか?

 あ、いいんです。ここ大事なんで(笑)

離婚が本当に大変だった、英語がわかっていても大変だったんです。言葉では表せないほど大変だったので、その経験が自分のような人を助けたい、人のためになる様な仕事をしたいなと切に思わされたんですね。

 弁護士になるほどには時間をかけられないけど、司法書士だったらどうだろうと軽く考えていたんです。

ー45歳を過ぎて司法書士になろうってキャリアチェンジの発想がすごいですね。どんな経歴なのか簡単にお聞きしていいですか?

  1988年に学生ビザでカナダに来ました。 その後キャピラノカレッジ(現キャピラノユニバーシティ)に編入してメディア専攻、写真、映像、映画、テレビ、ラジオについて学び、技術系のでインターンで撮影の助手やコーディネーターをしていました。

ですが経験を積んでいる間に、限界が見えて来ちゃったんですね、 クリエイティブな仕事するには私には才能が無いと。クリエイトするよりも何かをプロデュースする方が向いてるのかなと思いました。そこでSFUでマーケティングを勉強しなおすことにしました。大学に行くのに100%親の援助で行くのはダメだと思って、しかもインターナショナルだと学費も高額なので学費も安く仕事もできるようにと安易な理由で職業移民をしちゃいました。

ー結婚して移民になったんじゃないんですね

 結婚して移民っていうアイデアは全くなかったですね。何故か一人で外国でどうやって生きていくのだろうっていつも考えてた。そしてカナディアン航空(CP)に入社し地上勤務をしながらSFUに通って学士号を取りました。卒業後はカナダで就職活動もしたんだけれど、これがなかなか難しくって

ーそんなに経歴があっても?

 そうですノいったん日本に帰国して広告代理店で就職をし、外資系のソフトウェア会社、カナダ観光局日本事務所等で仕事をしながら日本でマックギル大学(インターナショナルビジネス専攻)のMBAを2002年に取得しました。駐在員になって世界中をかけ巡ろうと思ったりしていたんです。それが、何故かカナダに戻って2003年に結婚しちゃいました。そこは長くなるから省略して(笑)

 戻ってからもカナダでの就職はやはり難しくてノMBAは給料が高い、日本語は必要ないなど、本来なら優位になりそうな経歴が却って邪魔で思う様な職につけず、その時カナダ観光局(CTC)がオタワからバンクーバーに移動してくるという話を聞き入社することができました。なんだかんだ言って8年勤務しました。最初はアジア太平洋地区のマーケティング戦略等をしていましたが、その後はウェブの作成やソーシャルメデイアに関わるいわゆるプロジェクトマネージャー、消費者マーケティングというクリエイティブな仕事でとても充実していました。ですが、ここでまたマーケティングの仕事は好きだけどこれで終わっちゃっていいのかなって思った。で、最初の話(離婚)に戻る(笑)

 離婚問題が落ち着いてNotary Public (司法書士)になるぞ〜っ!って意気込んで始めた法律応用学のマスターを取得するのにSFUに2年入り直し!司法試験は2回しかチャンスがないんです。そして絶対受かるはずだったのにノ最初の1回目は落ちた。その時は泣いた泣いた(笑)

 当時私はもう47才で、頭はついていけない 、記憶力は皆無、家には小さな子供がいる、徹夜する体力はないノ もう1回チャレンジするんだって思ったらノイローゼになりそうでした。ですが、せっかく与えられたチャンス、

 気持ちを切り替えて、あと1年あと1回だけ!と期間を決めてやりたいことをやりきってやろうと頑張りました。

で、念願叶って2017年合格し最初はオフィスを間借りして経験を積みました。2018年にノースバンクーバーに自分のオフィスを開業、やっと2年になりました。

ー長くて短い道のりでしたね、おめでとうございます。主にクライアントさんは?

 80%がローカルで20%が日系コミュニティーです。

ーそういえばパウエル祭で『隣組』のブースでお会いしましたよね。

 実は今『隣組』の理事をやってるんですよ。

『隣組』でセミナーのボランティアを始めて、隣組で働いてるスタッフから「理事が数人辞めちゃうんだけど興味ありませんか?」とお誘いいただいて気楽に引き受けちゃいました(笑)

ー(笑)学校も仕事もだけど気楽になんでも始めますね

聞きたいことは山ほどありますが時間です。セミナーに行くと恭子さんのお話しをもっと聞けますか?

 隣組のセミナーは10月2日にコキットラムで行います。日本語認知症サポート協会がやっているオレンジカフェ(座談会)のボランティア講師もさせていただいています。11月10日にスティーブストン仏教会でセミナーを開催します。通常オフィスでは公証事務と呼ばれる原本コピー、宣誓供述書、署名の証人、公正証書作成のお手伝いのほか、遺言書、委任状、不動産の登記等の書類を作成するお手伝いをします。ボランティアのセミナーなどはウェブで告知しているのでぜひチェックしてみてください。

ーちなみに遺言書を作るにはどのくらいの金額を考えたらいいですか?

 簡単な遺言書の場合はコンサルテーション45分込みで400ドル前後です。

ーバタバタっととりとめもなく質問してしまいましたが今日は貴重なお時間をありがとうございました。

 以前にお会いした時にも増してキラキラとした目で語る恭子さん。さらっと自身の経歴を話していましたが、その裏にはたくさんの努力と試練を乗り越えて来たように思います。人の話をじっくり聞いてくれる姿勢が好感度大です。私も彼女のセミナーに参加して相談したいなと思いました。

Website: senjunotary.ca

 

[文と写真:Sleepless Kao