
(左からジェイソン・ベックさん、嶋洋文さん、英洋さん、イボンさん、雄吾さん)
10月16日、BC Sports Hall of Fame(スポーツ殿堂)で同ミュージアム・キュレーターのジェイソン・ベックさんよりバンクーバー朝日軍のメンバーであった嶋正一さんの甥2名と姪1名の方々にメダルが贈られた。授与には映画『バンクーバーの朝日』で歴史コンサルタントを務めたグレース・エイコ・トムソンさんとナショナル日系博物館のリンダ・リードさんも立ち会った。
バンクーバー朝日軍は2003年にカナダ野球殿堂入りし、2005年にはBCスポーツ殿堂入りを果たした。その際に、嶋正一さんの名前は名字しか分からず、今日まで「Shima」という名前で登録がされていた。
メダルの受け取りには、日本から正一さんの甥にあたる洋文さん、英洋さんと洋文さんの息子の雄吾さんが出席し、ケロウナ在住の姪・イボンさんも駆けつけた。正一さんの息子の清さんと正文さんは残念ながら都合がつかず参加ができなかったが、この知らせをとても喜んでいたとの事。
嶋家の歴史
洋文さんの話によれば、正一さんは朝日軍が創部された1914年から少なくとも1916年までチームに所属していた。チームでのポジションは不明。嶋家の歴史は和歌山県出身の嶋正一さんの父・清三郎さんが1907年に単身でカナダに渡ったことに遡る。1912年に正一さんの母と長男の正一さんがカナダに渡り、翌年(1913年)に次男の成一さん(英洋さんの父)と三男の寿男さん(イボンさんの父)が渡加した。四男の義雄さん(洋文さんの父)は1914年にカナダで誕生。正一さんは20歳の時に一時帰国し、結婚後カナダに戻りホテルバンクーバーで働いたが、1924年に日本へ永久帰国した。その他の家族のほとんども1930年代に日本に永久帰国をし、三重県木本町(現熊野市)に居を構えた。三男の寿男さんだけがカナダに残って生活を続けた。
正一さんは日本に帰国後に居住した三重県木本町で「木本(きのもと)巨人軍」と言う名の素人野球チームを結成し、洋文さんの父・義雄さんも所属していた。洋文さんは「戦争で強制移動させられた朝日軍のメンバーが、カナダ各地の収容所でそれぞれ野球チームを結成していったのと同様に、正一の朝日軍での活躍の記憶が、このような形で、日本の地元でも、彼の想いを引き継ぎ具体化結実させられたのでは」と話した。
ニューデンバー訪問と家系調査
今回、このように事が運んだのと、バンクーバー国際映画祭で映画『バンクーバーの朝日』が上映されたのは全くの偶然で、今から約10年前に英洋さんがニューデンバーを訪問したのが事の始まりであった。

嶋正一さんは前列右端(写真提供:嶋正文)
「知人がニューデンバーに連れて行ってくれた際に 、収容された人々の名前を見ていたら、知っている名前がちらほらあって、そこで偶然見せられたのがパット足立さんの朝日軍に関する書籍『Asahi: A Legend in Baseball』だった。その本を開いたらおじさん(嶋正一さん)が写っていてびっくりした。それで親戚に伝えた。 」と英洋さんは語る。
洋文さんは朝日軍に興味があったわけではなく、嶋家の歴史について興味があり、家族の歴史を調べていた。朝日軍についても調査を通じて知り、ちょうどその頃朝日軍の事が話題となり、本が出版され、漫画が出版され、映画化が進んだ。朝日軍に関する本を出版した著者のテッド・フルモトさん(『バンクーバー朝日軍』)や後藤紀夫さん(『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』)とも連絡を取り、そこから朝日軍についての理解を深めていった。

メダルの存在を知る
その後の調査を進めて行くうちに、BC Sports Hall of Fameのウェブサイトにたどり着き、そこには「Shima」と名字の表記のみがされている事を知り、洋文さんは団体に連絡を取った 。メダルに関しては、テッド・フルモトさんから話を聞き、ナショナル日系博物館に問い合わせも行ったが所蔵はされておらず、名前がわからなかったということでメダルは作られなかったと言う事が判明し、この度メダルが作られ、授与されるに至った。
このようにメダルを受け取る事が実現した事に関して英洋さん、洋文さんは「信じられない」と驚きを隠せない様子であった。ケロウナ在住の正一さんのいとこイボンさんも「すばらしいと思う。洋文がこのことを知らせるまで全く知らなかったし、気にも留めていなかった」と喜びを語った。
一行は朝日軍OBのケイ上西さんとも面会をし、先日新・朝日軍が再結成されたという話を聞き、「とてもすばらしい事だと思う」と感想を述べた。

BC Sports Hall of Fameのウェブサイトにある朝日軍メンバーリストはすでに修正され、現在Shoichi Shimaと名前が記載されている。BCプレース内にあるミュージアムのインタラクティブディスプレイのリストも近々更新される予定。また、今回写真の何枚かがナショナル日系博物館にコレクションとして追加され、こちらもオンラインでの公開の準備が進んでいる。
なお、インタビューの際には同時期に存在していた野球チーム、大和・大虎の写真も見せてもらった。
また、余談になるが、正一さんの姪イボンさんは映画007第一作目(Dr. No)(1962年)でSister Lily役を演じた。

(写真提供:嶋正文)