
今回はノースバンクーバーにある 高橋恭子さんの茶室、白峰庵におじゃましました。出迎えてくれたのは着物を着た白峰庵の主、恭子さん。
家のドアを開けると正面の中庭に面する窓から日本庭園が目に入ってきます。お庭には飛石や蹲踞(つくばい) があり、「これより先に行くのは遠慮してください」という意味の縄で十文字に結んだ関守石がちょこんと置かれていたりして、異空間を通ってまるで日本に来たような錯覚に陥ります。
私は茶道のことはよくわかりませんが、「哺乳瓶に緑茶を入れて赤子を育てる」と言われてる静岡出身なので緑茶が大好です。お点前をしていただけるというので楽しみにお話を聞いてきました。
—まず、お着物に割烹着で出てきたのにはびっくりしました(笑)
料亭の中居さんみたいでしょ?(笑) 着物姿を見て清楚だと言ってくださる方もいらっしゃいますが実はすごいお転婆なんですよ。スキーが大好きでインストラクターの資格も2年前にとりました。でもスキーは教えてません(笑)
—着物姿を見てると想像がつきませんね(笑)資格も持ってるんですね。
スキー場で会った人は私ってわからないかもです(笑)
イノシシ年なので突進しては転んでまた突進してを繰り返します。中途半端なことが嫌いなので興味を持ったことはとことん突き詰めますね。
—バンクーバーに来た経緯はなんだったのでしょうか
大学当時、 教員免許と着付けの講師の資格もとってなにか自分でビジネスを立ち上げようと思ってたんです。仕事をしていく上で英語に磨きをかけたいと思い語学留学のために1994年にバンクーバーに来ました。
—その当時からお茶に携わっていたのでしょうか?
お茶は昔から興味がありましたが、日本では経験はありませんでした。バンクーバーに来てUBC構内にある新渡戸庭園に行った折に裏千家主催の茶会があったので参加してみたら「こんな世界があったのか」と感動してお稽古を始めたんです。
(着物の免状も持ってるし、お茶の稽古を始めたら着物を着る機会もあるかな)みたいなところもありました(笑)
日本を離れてみるとより日本の良さが見えてくるじゃないですか。茶道は日本の良さが凝縮されていると思ったんですね。庭園内の茶室でお抹茶を頂戴した分の間で、なにか心に響いてくるものがあったんです、琴線に触れたんだと思います。
—教えるに至るまでお茶を続けられたというのは、すごい感動があったのでしょうね。
お稽古を二十年以上受けてきたのは、家事や子育てからも解放されて癒されに行っていたようなものだったんです。素晴らしい先生に出会えたことと、日常から離れた特殊な空間が大好きで続けてこれたのだと思います。
—なるほど。それにしても庭にお茶室を作るとは、、、。
単純に考えてただけなんです。平成 年「お茶名」を拝受した1年後にこのノースバンクーバーに引っ越してきて、庭にスペースがあるからお茶室作りたいな、と、ほんとあまり考えてなかったんです(笑)
人に教えるとかは当初は考えていなくて宣伝などもしていなかったのですが、気が付いてみたら茶道をお教えする立場になり、今に至っています。
離れにある白峰庵と名付けられたお茶室に移動し、およそ〜センチ四方の人が1人やっと入れるにじり口をにじりながら入ります。
恭子さんは裏口から入った水屋で支度をしながら、 にじり口についての話しをしてくれます。
「茶室に入ればどんな人でも平等である」という千利休の茶の湯の精神から間口の寸法が小さくなったんですね。天下人も商人も同じように頭を下げて入らなければならないでしょう?当時、武士の命ともいえる刀を掛けておく「刀掛け」がにじり口の横に設えてあったそうです。
床の間にはかわいらしくクレマティスの花が生けてあります。私(筆者)の郷里には、美術館が集まりクレマティスの咲く庭園「クレマティスの丘」という場所があります。 何か共通するものを感じて、この小さな異空間に迎えられたような気になりました。掛け軸には「行雲流水」(こううんりゅうすい)と書かれています。恭子さんが「空をゆく雲と川を流れる水のように、執着することなくその時々に従って行動するということですね」と言葉を添えます。
日本の古典的な所作や、お茶を点てるその無駄のない動作ひとつひとつにアートを感じて、見ていると清々とした気持ちになります。そのことを話すと、「帛紗(ふくさ)を使う所作がクリスチャンの影響を受けているのではないかという諸説があるんですよ」と話してくださいました。
お茶をいただきながら、茶碗や歴史の話、お菓子や茶室から見える木や花の名前、世界情勢など話が弾み随分と長居をしてしまいました。それまでお茶というのはお点前を習うのだと思っていたのですが、お茶を出すだけではなく深い知識を持って客人をもてなすのが茶人なんだなと感心しました。
「お点前」は茶道から見たらほんの一部なんですよ。正式なお茶事は炭を熾し懐石をふるまった後、濃茶と薄茶を差し上げるので、4時間ほど要します。
茶道は「和敬清寂」(わけいせいじゃく)という四つの理念を身につけるために学ぶんです。
—禅の思想のようですね
「和」っていうのは人と人の和、使うお道具の調和がとれているかどうか。
「敬」は自らは謙虚に他者や自然を敬うこと。
「清」は邪念のない清らかな心や清められた茶室、
「寂」というのは空や無といった不動心。何があっても動じない心です。侘び寂びの精神を端的に表しています。
—私もお茶を習ったら、落ち着きのない動作が治るかもです(汗笑)これからの活動などを教えてください。
「わび茶」は千利休が広め、裏千家は「一碗の茶から平和を」をスローガンに掲げて世界に支部を作りました。
その考えに私も共鳴し、これからは茶道で世の中に貢献出来たらと願っています。昨年は我が家の茶室でファンドレージング茶会を催し、お客様や企画に賛同下さった方々から頂いたお礼を全額Food For The Hungryという慈善団体に寄付しました。自宅でのお稽古以外にも、色々な場でのデモンストレーションや友人たちとのコラボ、そして定期的なファンドレージング茶会を催すことによって、茶道の素晴らしさを多くの人に知って頂きたく思います。
一椀のお茶を通じて人と人とが分かり合えば、世界から争いごとがなくなるのではないでしょうか。
気軽にお抹茶一服喫しながら、茶道の良さを感じてみませんか。
興味がおありの方は、私のメールアドレスまでご連絡を下さいませ。随時お稽古を見学して頂けます。
恭子さんの言うように有意義な時間と豊かな気持ちをお茶一杯で持つことができました。バンクーバーの喧騒に疲れたらまた白峰庵を訪ねてみようと思います。
[文:Sleepless Kao]