外野手の頭上を抜けたボールがどこまでも転がっていく柵のない校庭やスポーツグラウンド。どこでも歩行者が一歩でも車道に踏み出したらドライバーは直ちに停車して横断させるべしというルール。バスを下車する際次々に「サンキュー」とドライバーに声をかける乗客、間髪いれず「ユーアーウェルカム」と応じる運転手。ダウンタウンで渋滞気味の車、車の間をスケボーでスイスイと縫っていく青年。前方の空に展開する見事な夕焼けに見とれて、一斉にスローダウンする橋上4車線並んで走る車。銀行や商店の前、道端の隅や街路樹の周り等々そこここに咲き乱れる手入れの行き届いた花、花、花。幾つかある重症治療法の選択を患者に任せる医師。
一家4人で移住したバンクーバー生活もかれこれ18年。ここで実体験して「日本ではまず見られないなぁ」と感心した物事や光景を思いつくままに連ねてみた。住民の間でも国際都市の<住み良さ>ランキングでも常に高い評価を受けている私たちの生活環境だが、短期、長期滞在で毎年数百名は訪れる日本人語学留学生や<ワーホリ>の留学生チニちに心から「カナダに来て良かった」「何とかもう一度来たい」と感じるような経験をしてもらいたいものだ。
などと書いている当方自身、家計の足しに10数年前から日本、中国、タイなどアジア各国、メキシコ 、ブラジル、ドイツなど各国の語学留学生のホームステイ先として数十名は泊めてきたのだが、2年ほど前にあずかった関西の某大学の学生のケースは最悪、思い出しても気が滅入る程やりきれない経験だった。
第一印象は小学生のような顔つき、「かなりウブな青年だな」と思ったのだが、数日のうちにその言動から精神年齢がまさに小学生レベルと気付いた時はかなりショックだった。初登校した日は、帰りのバスがどれだかわからず、人に尋ねるでもなくバス停で2時間近く立ちすくんでいたらしい。幸い携帯に拙宅の電話番号が入力してあったのでつながり、しどろもどろの彼に「カナダ人は皆親切だから、誰かに君の携帯を渡して」と指示、「申し訳ないのですが教えてやってくれますか」と見ず知らずの男性に頼み、何とか帰宅できたのだが、もう英語力以前の問題、初体験の海外で完全に自己喪失状態に’陥ったらしかった。
オンライン・ゲームにはまり過ぎて3流大学にしか入れなかった、とか言っていたが、誰が決めたのか、そんな子は海外に出るべきではないのだ。顛末はビールを食らってホスト・マザーの家内を拙い英語で罵倒するなど手に負えなくなり、とうとう下宿の斡旋先に頼んで出てもらった。初めての体験でもあり悲しかった。
日本では最近、若者の一番嫌いな言葉が<夢、次いで志、異性との付き合い>という報道がかなり論議を醸している様だ。スマートフォンで<どこそこのタコ焼きはうまっ>だの<念願のゲームソフトXXをついにゲット!>等と一心不乱にメール交換をしているうちに、皆そうした些細なことしか考えないようになり、脳ミソが金太郎飴になっちまった訳だ。そこには文学、芸術、外国語などがつけ入る余裕も、好奇心や探究心が芽生える土壌も無いのだろう。何しろ多くは小学生の頃からひたすら<仲間に取り残されたらどうしよう>と目も意識もあの小さなスクリーンに釘付けになっているのだから。
前述の<コドモ青年>は極端だったが、 初めての外国でも自分を見失わない日本人と言えばプロのスポーツ選手、芸術家、ミュージシャンや最先端分野の学者や技術屋者が思い浮かぶ。専門分野というボーダーレスの世界にいるからだ。海外にいても日本にいても本質的に変わらないのだ。現在泊めているR君は将来英語教師を目指す、ラクロスが大好きな快活なスポーツ青年だ。19歳の未成年だがカナダではOKということで、先日合コンで初めてビールを口にしたという初々しさ。東洋人の若者(だけじゃないが)にしては珍しく、話をする時は相手の目をジッと見つめる処などは西洋人のようだ。ご両親はかつてアートや仏語の勉強で留学していたパリで見初め合ったそうだ。
注目すべきは、日韓政府間レベルや在カナダ少数民族団体のレベルでは解決には程遠い諸問題が存在するにも関わらず、個人的には日韓の留学生が友だち付き合いをしている。それだけでも、カナダに来た甲斐があったではないか。人種や国籍にこだわらず友人は自分で選ぶというのは多民族・多文化主義のカナダではごく当たり前のことだ。日本や韓国のように常に<空気>を読んだり周りを気にしなくて済む。R君の場合、英語教師の将来は自分で決めた道だそうだ。幼い頃から親御さんに自主性を育まれたのか、ある意味でボーダーレスなご家庭かも。
自主性について。日本人は意見を述べたり物事を判断する際に「何々が正解だ」と言いたがる。周囲も認めるだろう正しい答え、というニュアンスがある。「こうするべきだ」とか「これがベスト、最善策だ」などと西洋人のように自分の意思として言わない。およそ20代から30代の語学留学生や在カナダの邦人の方々にダウンタウンのビジネス・スクールで和英・英和の翻訳を教えたことがあった。女性が9割だった事は直接関係ないと思うが、質問の<正解>を知らない場合「授業に出てきませんでした」と応える生徒が少なくなかった。周りが知らないことは、自分も知る必要がないのか。<金太郎飴>で充分ご満足なのか。
その質問の一例。「1860年代、日本では戊辰戦争から明治維持、アメリカでは南北戦争から奴隷制度廃止という画期的な出来事があったが、同時期に大陸ヨーロッパで形成された2大国家は?」ドイツとイタリアのこと、ヨーロッパなら常識だが、日本の義務教育の一般知識の範囲では必要ないと見做されているらしい。欧米の教育では、歴史を含め興味があることは自分で本を読め、今なら少なくともwwwのウィキペディアで調べてみろ、という事だろう。
冒頭で医師の例をあげたが、18年前バンクーバーに移住した時、<甲状腺亢進症>なる持病を患っていた。シンガポールの医師は症状の心臓の動悸(どうき)を抑える薬を投与するだけだったが、ここの医師に診てもらうと、今時は多くの場合<放射線アイソトープ療法>により甲状腺機能を低下させて後に薬剤で機能をおぎなうのだが、その医師が何と「手術など他の療法もあるのですが、アイソトープにするかどうか、自分で調べて決めてください」と言うではないか。結局そうしたが、自分で決めろ、に感心させられた。そう言えば、グラグラになった奥歯を「自分で引っこ抜いてみるか?」と<憎らしい>虫歯を自ら引き抜くという初体験をさせてくれた太っ腹の歯医者もいたっけ。
常に周りを見て<空気>を読んでから言動に及ぶ日本からカナダに来たばかりの若者に、いきなり<主観も大切だ、主体性を持て>とは無理な話。「自分で物事を判断して行動する」という考え方を少しずつ吸収してもらうしかない。「明日の授業の予習を誰かと一緒にやろうか」とか「今晩どの居酒屋に行こうか」という様な些細な事でもいいが、「将来のキャリアはサラリーマン?専門職?」「一番興味のある分野は?」など重大な事もしっかり考えるようになって欲しいものだ。うちではホスト・ファミリーとして食事中などそうした質問を彼らに振ることもあるが、何とか有意義なカナダ体験する手助けを少しでもしたいものだ。
[文・渡辺正樹]