Kao&Ku 「迎春」冬なのになぜ「春」?
Kao
新年三が日は、ほぼパジャマで家にいました。生花をアレンジしたり、ビデオ通話で友達とヨガをしたり、三線を弾いたり、アニメ「ダンダダン」を見たりと忙しくしていました。
日本では、年内に家族が亡くなった場合、新年の挨拶を送ったり受け取ったりしないのが通例です。この「喪中」と呼ばれる伝統は、故人を敬い、偲ぶ方法です。通常のお祝いの代わりに、人々は「喪中はがき」を送って、いつものように新年を迎えないことを他の人に知らせることがあります。
とはいえ、2025年も皆さんとつながりを保てることを楽しみにしていますし、挨拶を控えると言っても、お返事をするのに何かいい言葉はないかなと思い浮かべ、今の自分にしっくりくる言葉がありました。
「迎春」
春を迎えるという意味のこの言葉には、日本ならではの風情や文化が反映されています。「迎春」が「新年の挨拶として使われる理由は、新年を「春の訪れ」として捉える日本の伝統に由来します。(日本では旧暦(太陰暦)を使っていた時代、新年は春の始まり(立春)に近い時期にありました)そのため新年と春は密接に結びついています。新暦の1月1日でも、その名残として「春を迎える」言葉が使われているのだそうです。
でもちょっと疑問。冬なのになぜ「春」?
日本では、春を希望や再生の象徴と捉えています。寒い冬が過ぎ、暖かい季節が来ることを心待ちにする気持ちが新年の祝福に繋がっています。「春」という言葉には、新しい始まりや成長のイメージが込められて、新年の挨拶としてぴったりのポジティブな響きがあります。季節的にはまだ冬ですが、「初春」や「迎春」のような表現は、未来の暖かさや希望を先取りする日本らしいポエティックな感覚が表れていていいなぁと思うのです。
「迎春」2025年もよろしくお願いいたします。
[文:Sleepless Kao]
Ku
明けましておめでとうございます。今回の年末年始は忙しく、初夢のこともろくに意識できずにいつの間にか時が過ぎ去っていましたが、なんとか年は越せ、人生初めてのハワイにバケーションをとって行ってきました。マウイ島という場所に行ってきたのですが、観光客も少なく静かで平和な島で人混みが苦手な自分にとっては最高でした。食べ物も美味しかったですね。本場で食べるマンゴーやロコモコ、マウイのビールや海鮮。とても魅力的なもので溢れていました。
マウイにはZenshin Daikoという子供たちの太鼓グループがあり、彼らのパフォーマンスを見ることができたのですが、そのパフォーマンスのすごいことすごいこと。大人子供関係なく、いろいろなグループの中でもトップレベルの実力を持った太鼓チームでした。たくさんの刺激をマウイから頂きました。今年の目標はZenshinDaikoにちなんで『進み続ける』。今まで以上に頑張っていいます。
みなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。