編集後記2024年 11月号

 Kao「埋め立てゴミの日」に想う

父が亡くなって日本に一時帰国して実家の片付けをしております。

若かりしころ日本画を本格的に勉強していた父の壁を覆い尽くすようなキャンバスやスケッチブックが大量に出てきてどうしたものかと考えあぐねています。それでなくとも晩年にプロでもないのに全ての財産を注ぎ込むほどにカメラやレンズを揃え、撮った写真は全判や半才の大きさに引き伸ばし、一枚一枚額装をしたものが増え続け、私が使っていた部屋に押し寄せた。帰るたびに壁が押し迫ってくるゲームのようだなと恐怖さえ感じていたほどです。

 父が生前、足しげく通っていた「カメラのキタムラ」の従業員の方たちが父の死を悼んでくれて、彼の大判の写真を額ごと何枚も喜んで持っていってくれたので本当にありがたい。こんなにも作品があると追悼展でもやってあげたいが、とにかく時間もエネルギーもない。

 少し間ができた押し入れから母の趣味であったお習字も出てくる。展覧会に出品した作品は私の背を優に越える大作だ。掛け軸を入れるような 縦型の額、しかも木製でガラスのヘビーデューティなやつだ。

 まだまだ額は押し入れから出てくるのです。こんな小さな家にまぁよく詰め込んだものだ。要らないものではあるけれど、両親のことを思うとゴミにしてしまうのは忍びない。

 片付けを手伝ってもらった兄嫁に試しに「兄が亡くなったら結構ギターのコレクションがあるけど売るの?」と聞いてみると「売るのめんどくさいんで火にくべます。笑」潔くてみんなで笑った。兄だけ1人笑っていなかったけど。笑

 「埋め立てゴミの日」に思ったのは、カナダと比べて物に溢れている日本では、古いものを欲しがる人がいないということ。アンティークとか価値のあるものはともかく、綺麗で使える状態であっても少し古い電化製品などは誰もが要らないと言う。数年前のダイソンの掃除機(破損なし)が捨ててあった。炊飯器や電気ポットなど新品に見えるものもあり、持って帰りたい衝動に駆られる(苦笑い)新しいのを買ったから捨てよう、みたいなことであろうか。

 とにかく、「埋め立てゴミの日」に思い出を捨てられなかった私は両親の大量の額と作品を取っておくことになりました。

Ku

  雨がシトシトと降るバンクーバーの冬が今年もやってきました。夏のイベントの写真などを振り返りながら、雨音を聞いていると、今年もいろいろなことをしたなとしんみりとしてしまいます。さて10月にカナダ全土でオーロラが観測できたのはご存知でしょうか。ダウンタウンの明かりが強いバンクーバーでは、肉眼での観測はできません。しかしカメラを使いレンズを通すことで、それも可能にすることができます。一緒に住んでいる友達に誘われ、携帯電話片手にビーチまで出かけました。私のスマートフォンではそこまで綺麗に撮ることはできませんでしたが、それでも私自らで撮ったオーロラの写真を見るのは感動もひとしおです。いつか、自分の目で直接観てみたいなと思わせてくれる出来事でした