世界大戦と日本、そしてカナダの日系人

今年、2014年は第一次世界大戦開始の百周年にあたる。この大戦は日本やそしてカナダ在住の日系人にとってどのような係りと意味があったのだろうか。
日系人戦没者のためにスタンレー・パークに建てられた記念碑 © Joy Gerow
日系人戦没者のためにスタンレー・パークに建てられた記念碑 © Joy Gerow

 

 今年、2014年は第一次世界大戦開始の百周年にあたる。この大戦は日本やそしてカナダ在住の日系人にとってどのような係りと意味があったのだろうか。

 第一次世界大戦はそれまでになかったヨーロッパの主要諸国が参戦したGreat Warと呼ばれた1918年まで続いた大規模な戦争で、帝国主義列強間の陣営の対立が未曾有の大戦に至ったのである。すなわち、三国協商と呼ばれたイギリス、フランス、ロシアを一方とし、三国同盟のドイツ、オーストリア、イタリアに対峙していた。バルカン半島の民族的対立がきっかけとなって、オーストリアの皇位継承者、フランツ・フェルディナント大公夫妻が6月8日にボスニアの州都、サライェヴォで暗殺されたことから、7月28日にオーストリアはセルビアがこの事件の背後にあると非難して同国に宣戦、8月にはヨーロッパの主要国が宣戦を布告し、ヨーロッパ戦争となった。

 イギリスの自治領カナダは8月4日のイギリスの大戦参加に伴い、ヨーロッパ戦線に軍隊を派遣した。そしてドイツ軍による毒ガスが最初に使用されたベルギーのイープル(Ypres)の戦線に参加して、多大な兵力の損害にもかかわらず陣地を守り通した。またカナダ軍は北フランスのヴィミー・リッジ(Vimy Ridge)を多大な損害にもかかわらず、獲得した。大戦のために60万以上のカナダ人が徴兵され、6万人の戦死者、17万人の戦傷者を出している。

日本の参戦

 ヨーロッパを主要な舞台としたこの大戦は日本にとって帝国主義列強の一国としての東アジアにおける地位を強化する好機であった。大戦が始まると、日本の元老の一人である井上馨は「今回欧州の大禍乱は、日本の国運の発展に対する大正新時代の天佑」であると、1914年(大正2年)に始まった世界大戦を歓迎した。(日中韓3国共同歴史編纂委員会編「新しい東アジアの近現代史、上」、日本評論社、2012年、79ページ。)換言すれば、他地域で起こった戦争によって、日本の国際的地位を高めるうる機会が到来したと考えたのである。

 イギリスは開戦早々、東アジアにある自国の商船をドイツの軍事的脅威から守るよう日本に要請した。それに答えて、日本は1902年に結んだ日英同盟にもとづきヨーロッパでの大戦勃発から1ヶ月後の8月23日にドイツに宣戦布告した。当時、中国の北京政府は中立を宣言していたが、日本はこれを無視して同年9月には山東省に軍隊を上陸させ、青島(Tsingtao)を攻撃、同地のドイツ軍を屈服させ、ドイツの利権を接収した。さらに10月には日本海軍が南洋の赤道以北のドイツ領(マーシャル諸島など)を占領した。日本の参戦の目的は東アジアにおけるドイツの利権を獲得し、満州や内モンゴルでの権益を拡大して帝国主義列強間での立場を強化することにあった。そのような目的は翌1915年の中国の主権を侵害する「21ヵ条要求」に示されている。この要求に対して中国人は民族主義的反対運動を展開した。列強の反応も日本に対して批判的だった。アメリカ、イギリス、ロシアなどの列強は、自国がヨーロッパでの戦争に没頭している機会に乗じて、日本が東アジアにおける支配権を拡大しようとしていると拒否反応を示し。しかし日本は中国の袁世凱政権を圧迫して日本の要求に屈服させたのである。

日系カナダ人義勇兵

 上述のようにイギリスの同盟国として日本がドイツに宣戦布告したとき、それはカナダの日系人にとって歓迎すべきニュースであった。すなわち、日本がイギリス、従ってカナダの戦争努力を支持したことは、カナダにおける反日感情を抑制する意味を持ち、さらに、日系人がカナダに忠誠であることを示す好機を提供するものでもあった。

 当時の日系人コミュニティはカナダ日本人協会が主導してカナダ軍に参加する義勇兵を募集する運動を始めた。バンクーバー地域で200人以上の日系人がこれに応募した。日系人は当時、カナダの市民権を得ても国、州、市町村での投票権を認められていなかった。そのため、従軍することによって投票権を含めた完全な市民権が獲得できるという期待があったのである。まさしくその点を憂慮してBC州の政治家たちは譲歩するつもりがなかったのである。バンクーバーから日系人の代表がオタワに日系人を義勇兵として受け入れるよう陳情活動を行った。しかし、カナダのフランス戦線における人的損害と補充兵力の必要にもかかわらず、日系人の義勇兵の申し出は認められなかった。

 1915年、基礎的な軍事教練を受けていたバンクーバーの日系人義勇軍が解散を余儀なくされたのと相前後して、アルバータ州の連隊にはすでに日系人が参加しており、日系人を受け入れるという情報が伝えられた。そこで、カナダ軍に参加を望むBC州の日系人はアルバータ州でカナダ軍に参加することになったのである。なお、当時の義勇兵はほぼ全員がカナダ市民権を持つ一世であった。(二世は一名、日露戦争従軍経験者も一名含まれていた。)日系人志願兵は196名、ヴィミー・リッジなど西部戦線に派遣された。54名戦死、93名戦傷、無事帰国したのは49名であった。従軍者に選挙権をふくめた完全な市民権を認められたのは1931年のことであった。15年の及ぶ陳情、ロビー活動などがその背景にあった。

 大戦終結から2年後の1920年、戦死者を慰霊、顕彰のための記念碑が日系人コミュニティの1万5000ドルの寄付金によってスタンレー・パークに建設された。この年、ヴィミー・リッジ戦の記念日4月9日を期して記念碑除幕式が行われた。延べ2000人の参加があったと伝えられている。

 現在の、そして、将来のカナダの日系人が100年前の世界大戦を想起するよすがここにある。すなわち、本誌が毎年伝えているように、この記念碑の前で、第一次大戦の終結の記念日(ドイツの休戦条約調印)、11月11日には日系人コミュニティが日系人の両世界大戦などへの貢献を記念する行事が行われているのである。

[文・鹿毛達雄]