バンクーバー生活の小さな幸せ まだあちこちに本屋が

カナダ生活で気に入っているものの一つが、まだあちこちにある本屋だ。隣近所の小売店からショッピング・モールその他にある全国チェーン店など、小説、ノンフィクションなどありとあらゆる種類のハードカバーやペーパーバックを実際に手にとってページをパラパラとめくることができる。

By 渡辺正樹

 カナダ生活で気に入っているものの一つが、まだあちこちにある本屋だ。隣近所の小売店からショッピング・モールその他にある全国チェーン店など、小説、ノンフィクションなどありとあらゆる種類のハードカバーやペーパーバックを実際に手にとってページをパラパラとめくることができる。 
 何故いきなり本の話なんか、と訝る方々もおられるだろう。実は9月にこの夏のハイライトとでも言うか、2 週間半ほどの休暇を長男が現在兵役を務めており、家内のお母さんや兄弟が住むシンガポールで過ごした。17 年前に同地からバンクーバーに移住して以来、カナダのよりのんびりとしたペースや生活様式に慣れてしまったのだろう。ここ数年訪れる度に、商業、住宅高層ビルや地下鉄などインフラの建設工事が息も止まらぬペースで進んでいる都市国家の有様に度肝を抜かれるのだ。
 バンクーバーやその周辺の諸開発事業の慎重緩慢なペースとは好対照のシンガポールは、ビジネス優先主義の政府のもとに東南アジアのビジネス拠点として大いに潤い続け、かつてスイスがそうだったように富豪たちの資産管理で百万長者、億万長者の国民一人当たりの数において今日世界一を誇っている。
 地下鉄の駅に溢れる急ぐ乗客たち、人気の食べ処で席を待つ長い列、高級ブランド品から安物までみんな全てを扱うような巨大なショッピング・センターの戦場のような売り場、なかなか見つからぬ駐車スペースなどなど、東京、大阪その他日本の大都市を訪れた読者の方々も似たようなご体験をなさったかも。頭では知っていても、着いた時に感じるあのカルチャー・ショックを。
 <仕事に追われ、美食の探求に明け暮れ、時間があればショッピング>という感じのハイペースの国際都会生活からギアをシフトダウンしてここの普段の生活ペースに戻るまで1,2週間はかかった次第だ。これも日本を訪ねて戻ってきた際の感覚に似ている。義兄夫妻は両人フルタイム勤務なので当然その都合にこちらのスケジュールを合わせる。私たち(プラス、休日で兵営から戻った長男)まで快く泊めてくれるばかりか、時間の許す限り夕食からランチまで連れて行ってくれるのだ。
シンガポールは<食い倒れ文化>とも呼ばれるほど外食の伝統が根付いている。ホーカー・センターと言う簡易屋台から中華、インド、マレー(インドネシア)料理店各種に和食や東南アジア諸国の料理から西洋料理と何でもある。バンクーバーと周辺一帯の中華、和食、各種エスニック料理そのた地元の食べ処などを一からげにダウンタウン地区に詰め込んだような感じとでも言うか。
 バンクーバーでの普段の生活ペースに戻るにしたがって、シンガポールにひしめくほどあった新旧ショッピング・センターやモールや立ち並ぶブランド品店でほとんど見かけなかったものがあったことに気づいた。本屋である。幸い、中心部のショッピング・センター地下の広々とした高級フードコートの側になじみの書店が移転していた。昼過ぎのフードコートの方は各店ともまだほぼ満席なのに、書架が立ち並ぶ本屋の広々とした店内に客はせいぜい6、7人だった。他に、在シンガポール時代から行きつけの、日本の雑誌や書籍を扱う紀伊国屋店舗が主要ショッピング・センター内にあり、2、3回のぞいてみたが、日本人の他英語、仏語、独語の書籍を漁るヨーロッパ人が多い印象だった。以外は古い小さなショッピング・センターでペーパーバックの古本を並べて一冊1 ドルか2ドルで売っている程度だった。
 「へえ、まだ本なんか読むの?」大手新聞のデスク勤務に追われる義兄に買い求めた書籍を見せると、彼れは冗談交じりに言った。一冊は地元の新鋭ライターたちの短編集、もう一冊は、かつて市内の波止場近くの英国人が建てた瀟洒なアール・デコ様式の終点駅まで運行されていたマレー鉄道の歴史を語るコミック・ブックだ。端末タブレットで読書する者を含めても、昨今のシンガポール人の多くは本を読む暇などないように見受ける。
 本好きの者に端末タブレットは物足らないが、それはともかく、当方なぜそんなに読書に拘るのか。その繊細な感覚や価値感に共感しもっと読みたいと思っている現代作家の伊集院静氏が、最近非常に分かり易く説明していた。同氏の連載170 回を超える週刊文春の<人生相談>コラムは愛読しているが、ある中学生読者の質問に答えて、一見当たり前のようで、実にすごく深い事を書いていたので一部紹介してみる。質問は、気に入った書物を繰り返して読むべきか、もっと新しい書物
に手を出す方が良いのか、だ。

「…読書が好きなのか?いいことだね。この頃の若い人は本を読まないからね。人生を航海にたとえたのはイギリス人だが、アングロサクソン人は、それだけ死生についてよく考え、生きていく日々が決して晴天ばかりではないことを語り継いでいたんだろうな。
 嵐の日もあれば、凍てつく寒さの日もあるのが、大海を行く航海というものだ。航海のたとえの肝心は何よりまだ見ぬ目的地を抱いて、日々の苦節を乗り越える点にあるんだろうね。…読書を“言葉の海” にひとりで小舟で乗り出すことだと表現した人がいる。読書は、自分が知らない、ゆたかな世界を、本を読むだけで得ることができるという、素晴らしい力を持っているからね。
…次から次にに出版される新しい本をできる限り読もうなんてしてはダメだ。読書の辿りつくところは、君が運命の一冊に出逢うことにあるんだ。」

 その一冊に出逢ったかどうかはさておき、自身伊集院氏のことばに誘発されて、かねてから読もうと思っていた長編歴史物に目下挑戦している。「素晴らしい力」というのが気に入った。(日本語の書籍となるとここの状況はもっとキビシイが、それについてはまたの機会に。)