リルエットの「 宮崎ハウス」にご支援とご協力を!

By 鹿毛真理子

宮崎ハウス

宮崎ハウス

 リルエット(Lillooet)の文化遺産、「宮崎ハウス」は特に今年、今までにない財政的な、そして維持運営のための困難に直面している。従来、「宮崎ハウス」は少人数のボランティアによって維持、運営されてきたが、建物全体の断熱材による補修工事や暖房施設の購入と取り付けが必要となっており、多額の資金を必要としているのである。
 現在、私はバンクーバーからドライブで北に4 時間半のところにあるリルエットに住んでいる。 かつてこの小村で活躍した日系人、宮崎政次郎(1899-1984) と、医師として同氏が住んでいた「宮崎ハウス」について紹介したい。
 宮崎政次郎氏は1899 年に滋賀県で生まれた。カナダの製材所で働いていた父親が1913 年に一時帰国した際に、父に伴われてカナダに渡航した。バンクーバー地域でハイスクールの教育を受け、さらにBC大学で学んだ。同氏は医師になることを志望していたが、その当時、BC 州では日系人などアジア系住民が選挙権を認められないなどの人種差別があり、専門職に就くことやそのためのトレーニングを受けることも不可能であった。  
 そのため、宮崎氏はアメリカ、ミズーリ州のカークスヴィル・カレッジ(Kirksville College)で医学を学び、医師の資格を取得した。そして1930 年にカナダに戻って、バンクーバーの日本人町で医師の仕事に就いた。1941年に第二次大戦がアジア太平洋地域に拡大したが、その翌年、西部沿岸地域の日系人の強制移動と収容が行わた。そのため宮崎医師とその家族は、BC 州北部、リルエット近くのブリッジ・リバー(Bridge River)に移動した。そしてそれ以来、その土地や周辺地域に在住している先住民や日系人への医療サービスに従事した。
 1945 年、リルエットに医師がいなくなり、後任の医師を得ることが困難だったために、地元の友人が宮崎医師のリルエットへの移転を要望し、日系人の移動・収容を担当していた政府のBC州保安委員会の特別の許可をえて、ゴールドラッシュ時代に一時期繁栄していたリルエットに移動し、同地域とブリッジ・リバーを含めたその周辺の住民への診療活動に従事した。
 リルエットにはかってゴールドラッシュ関係のお役人であったカスパー・フェアー(Caspar Phair) 氏のヨーロッパ風の邸宅があり、その息子が所有していたその家を買い取った。まだ収容が続いていた1947年のことで、それが宮崎ハウスとして知らている建物の由来である。宮崎ハウスの入り口近くの一室は診療室として使われており、かつての医療器具などが残されていて展示され、当時の様子をうかがわせている。
 宮崎医師は村周辺地域にも気軽に往診し、診療費、薬品代を払えない患者にも差別なくサービスを提供して住民から親しまれ、尊敬されていた。冬場の往診途中に雪の積もった道路で車がスリップして、大怪我を負ったこともある。
 宮崎医師はリルエット在住の時代、1950年末に村議会議員に選ばれ、3期務めた。同氏はカナダで最初の公選議員となったのである。
 その時代、村にはなかった救急車の入手のための資金募集に尽力した。さらにボランティア消防団にも積極的に参加している。宮崎医師は長年、毎日の気象を記録し、さらにリルエット歴史協会の会長を務めるなど、地域コミュニティの発展に幅広く貢献している。
 宮崎医師の寛容精神と熱意を伴うカナダ社会への貢献は1977年のカナダ勲章(Order of Canada)授与によっても認められている。しかし、健康状態が優れなくなったことから、同氏は1983年に引退して、娘のベティさんの住むカムループ(Kamloops)に移った。その際に宮崎医師は広大な芝生の庭を含む邸宅をリルエットの村に寄贈した。これが、宮崎ハウスの由来である。爾来、夏季には大勢の見学者が訪れ、その庭は各種の催しに利用されている。なお、今年亡くなっ
たベティ さんは夫のロイ井上氏(Roy Inouye、元NAJC 会長)と共に宮崎ハウス保存の熱心な支持者だった。(ベティさんについては、本誌『Bulletin/ げっぽう』9月号の英文記事を参照していただきたい。) 
 過去20 年あまり、宮崎ハウスの手入れをするための資金不足により、1880 年代に建てられたこの邸宅のいたみが激しくなり、約2年前の2012 年に邸宅の維持保存のために、非営利団体「宮崎ハウス協会」が設立された。募金活動を行い、NAJC や村からの補助金を得ているが、大幅にボンティアの努力に頼りながら修理、維持に努力して現在に到っている。
 NAJC からの補助金は記録保存のために認められたもので、当時の宮崎医師を知る人々のビデオによるインタビューを始めている。完成したら、ソ-シャル・メデイアを通じて多くの方々に見ていただきたいと思っている。(なお、宮崎ハウス協会ではインタビュー等のビデオを利用してプロモーション用の短いビデオの作製にご協力いただける映像エディターを求めている。) 
 宮崎政次郎医師の著作として 英文の 自伝がある。(Dr. M. Miyazaki. My Sixty Years in Canada. Kamloops, 1973. 5th Reprint 2011.) この本には宮崎氏の医師としてのユニークな体験だけではなく、 大戦前、大戦中の日系人コミュニテイに関する興味深い記述も含まれている。(本書はNikkei National Museum & Cultural Centre, Burnaby, BC で入手可能。)
 宮崎ハウスについてのお問い合わせやご寄付のお申し込みは「宮崎ハウス協会」にご連絡いただきたい。

筆者:鹿毛真理子(かげ・まりこ)は宮崎ハウス協会会長