何でも好奇心「気候変動」

この原稿を書き始めた9月8日に日系社会貢献者、ロイ井上ひさしのご逝去の報が入った。突然ノ 死ヲ悼ミ  謹ンデ 哀悼ノ意ヲ 表シマス。

「多発する自然災害」

2000年以降、猛烈なハリケーン、豪雨による大洪水、土砂崩れによる避難、多発する台風と大雨、台風と熱帯低気圧による死者・行方不明者、サイクロン上陸、モンスーンと集中豪雨、洪水によるフェリーの転覆、強風による大木横倒しと家屋倒壊の被害が地球規模で広がっている。

宇宙航空研究開発機構による『年間降水量』は南半球の中・高緯度地域は降水量が増加している。世界の年間降水量は、周期的に多雨と少雨を繰り返している。1950年代と1990年代に多雨時期で、地域別に降水量の推移をみるとカナダ東部と北部では降水量が増加している。

「地球環境」

海洋深層水の循環遅延が引き起こす大規模な気候変動は地球温暖化の影響によるもので、海洋の変化と関係がある。気象庁『水循環観測研究調査』によると海水は北大西洋で冷却されて海洋の深層に沈み込み、南極付近を経過して北上し暖められて太平洋で表層浮上し、インド洋から大西洋へ流れ北大西洋に戻り、再冷却され海底に沈みこむ。過去50年に渡り深層水の塩分濃度が低下現象で1990年代から大西洋の高緯度海域では塩分濃度低下の報告書が提出されている。

「温暖化と農作物」

天候不順と温暖化、集中豪雨や千ばつの被害と害虫、農作物に変化が現われている。平均気温が2゜c上昇すると霜や冷害がある中・高緯度地域の農作物の生産量は増加するが、赤道に近い地域では気温上昇と害虫被害が増えて生産量は減少する。穀物栽培に適した農地面積が減少、農家の収入も激減する。ワイン用の葡萄が栽培されている北緯30−50度、南緯20−40度地域で気温が高くなり原料の葡萄の品種や風味が変わり、今後さらに気温が上昇すれば葡萄は不作となり、暑さに耐えられる品種改良が必要になる。

「加奈陀の産業」

林産業、水産業、鉱産物に次いで農産物が上げられる。加奈陀は1億7,400エーカーの広大な農地を持ち、小麦や大麦、その他の穀物、牛や羊、豚や鶏、七面長等の家畜産業、バターやチーズ等の酪農品やリンゴ、桃、いちご、ブルーベリー等の果物類も豊富である。トウモロコシ、大豆、蕎麦、菜種、砂糖大根などの農産物生産高は収入資源となっている。

「稲作とりんご生産」

温暖化による水稲栽培は平均気温が上がると降雨量や日照時間の影響で病害虫の被害が多くなり、田植え後に苗から穂がでる時期や栽培時期が変化し、稲作の収穫量も減少する。寒冷地野菜もリンゴの果樹、色つきや味にも変化が現われ、多くの地域がリンゴ栽培に適さなくなる。

「日本人農業者」

多くの移民者は明治政府の重税政策により、先祖代々の土地や家屋を失い、大きな借金を抱えて出稼ぎに来た若者達だった。記録上、早く渡加した農民は1904年にピット・メドーズで農業を営んだ山口県出身の若者だった。

「井上次郎氏」

1906年にヘーネーに20エーカーの土地を買った佐賀県出身の井上氏は農業同胞を求めて地方新聞に日本語の記事を載せた。『7年以内に森林を開拓して土地全体の開墾することを条件に7エーカーの土地を借りる』と契約条件付きの求人広告だった。

「山家安太郎氏(1886−1971年)」

早稲田大学卒業生の井上氏が載せた記事を読み、賛同した山家氏は10エーカーの土地をヘーネーに購入した。広島県田郡豊浜村出身の彼は1908年に渡加し、屋根板の原木を切り出すキャンプで働きながら『加奈陀の大草原地帯に黄金の畑主になる』ことを目標とし節約資本を託あえていた。摂り合えず小面積の土地を開拓し、苺の苗を植え収穫を得たが、鮭漁業や製材キャンプなどの季節労働者となり得た賃金で農業収入を補い、隙間時間で農業開墾をした。この作業は時間と手間が掛かり厳しい重労働であった。当時、10エーカーの土地を50ドルで購入することが出来た。最初に頭金20ドルを支払い、残金を年6%の利子で4年以内で返済した。購入した土地に家を建てそこで暮らした。『低賃金で働いたので家を建てる木材を買うお金がなかった。同胞は助け合い、杉の大木を切り、皆で隣人を助けた。根っこ切り株用火薬を買うお金も無かった。根堀くわやシャベルで切り株の周りを深く掘り、掘った穴の中で火を焚いた。繰る日も燃やし続けた。大きな切り株は2週間以上かかった。』開墾が済むと土地を耕し、苺の苗を1本づつ丁寧に間隔を置いて植えた。

「オカナガン地方」

1900年、この地方に最初に出稼ぎに来た日本人はバーノンのコールド・ストリーム牧場で34名の同胞と労働を共にした加藤氏であった。彼らはリンゴなど果物の収穫を手伝い、牧場の工場でも働いた。労働者は1日10時間の仕事で賃金は1ドル40セントだった。下宿費は月に4ドル50セント差し引かれた。やがて牧場労働者は借地や収穫契約のもとに農業へと進出していった。『加奈陀日本人農業発展号』はこの土地で野菜やトマトを育てた日本人農家109軒による記事を掲載した。農業の運営法、肥料や種、苗、害虫など説明や質問、意見交換誌であった。

「遺伝子組み換え作物・GMO」

作物が本来持っていない遺伝子を組み込むことで、特定害虫や病気への抵抗性を持つ新しい性質を付与された作物である。商品化第1号はトマトで『フレーバー・セイバー』、通常トマトの『完熟した後、柔らかくなり実が崩れる』遺伝子の働きを止めることで、日持ちの良いトマトを作り出した。この技術を生かして『ウィルス病に強いトマト』や『ペクチンを多く含むトマト』など様々な商品開発がされている。

「多発する自然災害」

2000年以降、猛烈なハリケーン、豪雨による大洪水、土砂崩れによる避難、多発する台風と大雨、台風と熱帯低気圧による死者・行方不明者、サイクロン上陸、モンスーンと集中豪雨、洪水によるフェリーの転覆、強風による大木横倒しと家屋倒壊の被害が地球規模で広がっている。

宇宙航空研究開発機構による『年間降水量』は南半球の中・高緯度地域は降水量が増加している。世界の年間降水量は、周期的に多雨と少雨を繰り返している。1950年代と1990年代に多雨時期で、地域別に降水量の推移をみるとカナダ東部と北部では降水量が増加している。

「地球環境」

海洋深層水の循環遅延が引き起こす大規模な気候変動は地球温暖化の影響によるもので、海洋の変化と関係がある。気象庁『水循環観測研究調査』によると海水は北大西洋で冷却されて海洋の深層に沈み込み、南極付近を経過して北上し暖められて太平洋で表層浮上し、インド洋から大西洋へ流れ北大西洋に戻り、再冷却され海底に沈みこむ。過去50年に渡り深層水の塩分濃度が低下現象で1990年代から大西洋の高緯度海域では塩分濃度低下の報告書が提出されている。

「温暖化と農作物」

天候不順と温暖化、集中豪雨や千ばつの被害と害虫、農作物に変化が現われている。平均気温が2゜c上昇すると霜や冷害がある中・高緯度地域の農作物の生産量は増加するが、赤道に近い地域では気温上昇と害虫被害が増えて生産量は減少する。穀物栽培に適した農地面積が減少、農家の収入も激減する。ワイン用の葡萄が栽培されている北緯30−50度、南緯20−40度地域で気温が高くなり原料の葡萄の品種や風味が変わり、今後さらに気温が上昇すれば葡萄は不作となり、暑さに耐えられる品種改良が必要になる。

「加奈陀の産業」

林産業、水産業、鉱産物に次いで農産物が上げられる。加奈陀は1億7,400エーカーの広大な農地を持ち、小麦や大麦、その他の穀物、牛や羊、豚や鶏、七面長等の家畜産業、バターやチーズ等の酪農品やリンゴ、桃、いちご、ブルーベリー等の果物類も豊富である。トウモロコシ、大豆、蕎麦、菜種、砂糖大根などの農産物生産高は収入資源となっている。

「稲作とりんご生産」

温暖化による水稲栽培は平均気温が上がると降雨量や日照時間の影響で病害虫の被害が多くなり、田植え後に苗から穂がでる時期や栽培時期が変化し、稲作の収穫量も減少する。寒冷地野菜もリンゴの果樹、色つきや味にも変化が現われ、多くの地域がリンゴ栽培に適さなくなる。

「日本人農業者」

多くの移民者は明治政府の重税政策により、先祖代々の土地や家屋を失い、大きな借金を抱えて出稼ぎに来た若者達だった。記録上、早く渡加した農民は1904年にピット・メドーズで農業を営んだ山口県出身の若者だった。

「井上次郎氏」

1906年にヘーネーに20エーカーの土地を買った佐賀県出身の井上氏は農業同胞を求めて地方新聞に日本語の記事を載せた。『7年以内に森林を開拓して土地全体の開墾することを条件に7エーカーの土地を借りる』と契約条件付きの求人広告だった。

「山家安太郎氏(1886−1971年)」

早稲田大学卒業生の井上氏が載せた記事を読み、賛同した山家氏は10エーカーの土地をヘーネーに購入した。広島県田郡豊浜村出身の彼は1908年に渡加し、屋根板の原木を切り出すキャンプで働きながら『加奈陀の大草原地帯に黄金の畑主になる』ことを目標とし節約資本を託あえていた。摂り合えず小面積の土地を開拓し、苺の苗を植え収穫を得たが、鮭漁業や製材キャンプなどの季節労働者となり得た賃金で農業収入を補い、隙間時間で農業開墾をした。この作業は時間と手間が掛かり厳しい重労働であった。当時、10エーカーの土地を50ドルで購入することが出来た。最初に頭金20ドルを支払い、残金を年6%の利子で4年以内で返済した。購入した土地に家を建てそこで暮らした。『低賃金で働いたので家を建てる木材を買うお金がなかった。同胞は助け合い、杉の大木を切り、皆で隣人を助けた。根っこ切り株用火薬を買うお金も無かった。根堀くわやシャベルで切り株の周りを深く掘り、掘った穴の中で火を焚いた。繰る日も燃やし続けた。大きな切り株は2週間以上かかった。』開墾が済むと土地を耕し、苺の苗を1本づつ丁寧に間隔を置いて植えた。

「オカナガン地方」

1900年、この地方に最初に出稼ぎに来た日本人はバーノンのコールド・ストリーム牧場で34名の同胞と労働を共にした加藤氏であった。彼らはリンゴなど果物の収穫を手伝い、牧場の工場でも働いた。労働者は1日10時間の仕事で賃金は1ドル40セントだった。下宿費は月に4ドル50セント差し引かれた。やがて牧場労働者は借地や収穫契約のもとに農業へと進出していった。『加奈陀日本人農業発展号』はこの土地で野菜やトマトを育てた日本人農家109軒による記事を掲載した。農業の運営法、肥料や種、苗、害虫など説明や質問、意見交換誌であった。

「遺伝子組み換え作物・GMO」

作物が本来持っていない遺伝子を組み込むことで、特定害虫や病気への抵抗性を持つ新しい性質を付与された作物である。商品化第1号はトマトで『フレーバー・セイバー』、通常トマトの『完熟した後、柔らかくなり実が崩れる』遺伝子の働きを止めることで、日持ちの良いトマトを作り出した。この技術を生かして『ウィルス病に強いトマト』や『ペクチンを多く含むトマト』など様々な商品開発がされている。

[文・天野美恵子]