働きing:鈴木浩一

鈴木浩一さん

鈴木浩一さん

—調理師専門学校生時代にはオーストラリア・アデレード州にワーホリで滞在し、その後アメリカのホテルで勤務。日本ではLAに本店を持つカリフォルニア料理のお店で長く働かれていた浩一さん。国際色豊かな経歴をお持ちですが、カナダに来たきっかけは何だったんでしょうか?

 日本で知り合った奥さんがカナダ人でバンクーバー出身だったのがきっかけです。15年前にカナダに来ました。

—現在のお仕事は?
 
UBC内にあるSageというウエスト・コースト料理のレストランのキッチンで働いて1年になります。これまでバンクーバーのいろいろな洋食系レストランで働いてきました。

 また、Ulatというウール・ドライヤーボールの生産販売を妻と行っています。

 Ulatの前には日本酒の輸入会社Talu Speciality Importsを立ち上げ、日本酒の輸入を試みたりもしました。Taluは日本語の樽(taru)を現地の方が発音しやすいようにRをLにしました。

Ulat ドライヤーボール

Ulat ドライヤーボール

—ウール・ドライヤーボールの誕生秘話は?
 
 2011年の冬に妻とクリスマスギフトを手作りしようという話をしていて、たまたまウールが家にあったんです。それでいろいろと調べて作ってみたのが始まりです。ちょうどその時、家のそばにThe Soap Dispensary (3718 Main Street)がオープンしました。そこに持って行って紹介したところ、お店で売ってもらえることになりました。その時は商品名はまだありませんでした。その後も注文が来るようになって、以前の会社名Taluをひっくり返して、Ulatという会社・商品名で販売するようになりました。

 翌年David Suzuki Foundationのブログで紹介されたのと、サークルクラフト出店時にプロビンス誌に取材され、商品の認知度が一気に上がりました。クラフトフェアーでは1日目に全てが売り切れてしまい、寝る間もなく夜中作り続けたのを今でも覚えています。現在はカナダ全土55店のリテーラーに小売販売と、オンラインでも直接購入できます。

 始めた当初はニュージランドのウールを使っていたのですが、地元のものを使って行いたいという気持ちがあり、BC州の羊毛が加工される場所がAB 州にあることを知り、それ以来そこからウールを調達しています。

 また、最初のうちは夫婦で手作りしていたのですが、生産が追いつかなくなってきたので、現在は生産を手伝ってもらっている方々がいます。冬場の忙しい時期には10名ほどの作り手がいます。

—起業したいという気持ちはもともとあったんですか?

 ありましたね。食の業界にいると、将来の目標は独立して、自分の店を持つことというのがやはりありました。ただ、こちらに来てレストランのオーナーになるというのがいかに大変かというのを目のあたりにして、考え方と目標が変わりました。大きなことではなくても、小さなことをオーナーとしてやっていけたらと思ったんです。いろいろと手仕事をすることが好きなので、自分の作ったもので自分のお客さんをハッピーにできたら、そんなことをしたいという気持ちがありました。

—ビジネスを行っていくに当たって大変なことは?

 努力を惜しまないことだとおもいます。例えば、リサーチとか。自分のものだけではなく、人のものも見て学ぶこと、そこから良いところや悪いとことを判断する視点を養うことが重要だと思います。

—今後起業したいと思っている人にアドバイスはありますか?

 日本だと、破産したらそこでおしまいというイメージが強いですが、北米では破産したとしてもそれはひとつの決断であり、終りではなく次の飛躍になるという見方があります。僕自身も日本酒の会社を立ち上げた時は3年やって結果が出せなかったらやめようと思っていました。会社を閉めた時も、気落ちはしましたが、めげていても仕方がないので方向転換し、暫くのほほんとしていましたね(笑)

 金銭的リスクは大きいし、初めから大きな賭けをする人もいれば、小さなところから始める人もいます。それは各々の安心値だと思います。でもやるなら本気でやるということと、好きなことをやるというのが最も重要だと思います。嫌なことでは続けていくのが大変になりますから。

—今後の目標は?

 これからももっと好きなことをやっていきたいと思います。子供が成長していくにつれて、自分の時間も増えてきて、新しいことに取り組める可能性が出てきたので。

 次は食に関することが出来たらと思っています。日本食に外国の食材を取り入れたり、日本の食材を新しい目線で再構築することによって新しい食の価値観を提供できたらと思っています。

Ulat

[文・山本一穂]