「ホラー」噺を語ることの意味をさぐってみよう

10月28日、トロントで“Fear and the Supernatural in Japan”と題された対談イベントが催された。ホストのヨーク大の日本文学教授テッド・グーセン氏(左)と作家ルイ・ウメザワ氏 (photo: Yusuke Tanaka)

10月28日、トロントで“Fear and the Supernatural in Japan”と題された対談イベントが催された。ホストのヨーク大の日本文学教授テッド・グーセン氏(左)と作家ルイ・ウメザワ氏 (photo: Yusuke Tanaka)

 1994年からトロントで「語りの会」を主宰している。「押しつけられて仕方なく一回だけ」のはずが、自分も語り手となった時、ハマってしまった。英語の語りのみならず、詩の朗読、歌やダンス等、なんでも「可」という良い加減な姿勢が長続きの秘訣かもしれない。
 ただし、一応「歴史的背景を無視した創作話は紹介しない」という点は念頭に置いて始めた。というのは、カナダ人の語りのイベントで紹介される「日本の昔話」が、中国名が出てくる王様の話だったり、天狗の姿がまるで禿鷹のように描写されていたりという混乱ぶりに釘を刺したかったからだ。
 ところが、こちらが正統な日本の昔話をしても、それを聴くカナダ人が頭に描くイメージは日本人のそれとは異なっていることも確かで、僕はそれはそれで「面白い」と感じ、そこに新しい文化創造の兆しを見てもいる。
 この意味で、先日、村上春樹作品の英訳者としても知られるヨーク大教授テッド・グーセン氏が、作家ルイ・ウメザワ氏と対談したイベント「日本的恐怖と超常現象」は、僕の想像力を喚起して止まなかった。
 冒頭でグーセン氏が、日本ではお盆の時、都会から実家を目指して大移動があり、先祖の魂を家々の前で火を焚いて迎え入れる行事があること、あるいは「四谷怪談」の祟りを恐れて、芝居で上演する前には必ずお岩稲荷に関係者がお参りするしきたりがあること等を紹介した。
 ここで、映画「怪談」(小林正樹監督・1965)から「雪女」の挿話が上映され、その後、2003年英連邦文学賞候補となった “The Truth About Death and Dying” の作家ルイ・ウメザワ氏が独自の解釈による「雪女」(英語タイトルは「Snow」)を紹介した。ルイさんは、4歳の時に、父の仕事でイタリアに渡り、米国を経て16歳でカナダに移住してきた日英バイリンガルで、「語りの会」にも出演したことがある。
 ウメザワ版「雪女」では、山へ入ったのは男二人ではなく、若者とその母親という設定になっている。吹雪に襲われて母は死ぬが、息子は雪女によって生かされる。翌春、村に現れた若い女は、実は母の霊かもしれないという暗示になっている。その雪女=母という解釈の根拠を問われて、「母親は恐ろしいというイメージが、自分の中にあるのかもしれない」と語る。なるほど、と思った。いつも優しい母が突如怒り狂った時、そこに別人の顔があったことを、子供は忘れないのだと思う。

●民話に遺る異形の山人

 
 さても「語りの会」主宰者として、この新奇な解釈をどう受け止めるべきか。歴史に照らすと戸惑いを感じる。柳田國男は、かつては「山人」と平地の民の間には一線が画されていたと自著「山の人生」(1925)に繰り返し書いている。山で出会っても言葉は交わさない、互いに無視するのが掟だった。ただし、山人との交易は必要上、絶えずあった。山人たちの好物は握り飯や餅、酒も好きらしい。時に平地の人を相手に相撲に興じることもあったという。餅を家の庭に供えておくと、夜半にやってきて代わりに織物の材料となるマダの木の皮を大量に置いてゆく。これは「オムスビころりん」や「傘地蔵」の民話に繋がってゆく史実だろう。あるいは「遠野物語」にあるように、神隠しにあった(つまり誘拐された)若い女が鬼の妻になっていたり、数年後に狂人となって山奥で発見され、里に連れ戻されたこと等、事実としてあったようだ。山人たちの存在は知られていても、人間として人別帳に載ることはなく、神格化、異形化され、民話の中で鬼、なまはげ、山姥、天狗、河童などの名称が与えられていったのである。
 逆にいうと、明治以降の天皇を中心とする中央集権、国民皆兵への大変革は、それまであった山の民も含めた地域共同体と、禁忌を含めた集団の記憶という、民話の成立要件と神秘性をことごとく崩壊させてしまったようだ。
 だが、こういった民話の歴史背景を振り回して、ウメザワ版の新解釈を否定するつもりはない。原作の「KWAIDAN」自体が、各地に点在する怪奇譚を集めてラフカディオ・ハーンが脚色し英語で書いた短編集だからだ。むしろ、北米に住む現代人の目に映る「雪女」の神秘性に、母や妻の豹変する(あるいは「化ける」)姿を重ね見るほうが自然かもしれないと思う。

●日本の幽霊は「恐い」より「哀しい」

 
 対談の後で会場から「西洋のエクゾシストやオーメンに比べて、日本のゴーストが恐くないのは何故か」という質問が出た。グーセン教授は「確かに日本の幽霊は、恐いというより哀しげだ。何故かは分らない 」と応じた。
 これは言い得て妙だと思った。幽霊と出会う側の「哀しみ」がそこに反映しているのである。若い頃、真っ暗な裏街道沿いに並ぶ迎え火の回廊を、ゆっくりとバイクで通り抜けたことがある。先祖の霊を迎える焚き火に見入る人たちは、あの世から下りて来るであろう家族の記憶を黄泉帰らせて哀しげに見えた。
 会場となった「Windup Bird Cafe」の命名は村上春樹の「ネジ巻き鳥クロニクル」に由来する。これで思いだすのは、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」(1996)という対談集だ。村上は、この小説の一舞台となるノモンハン戦場跡を訪れて慰霊した後、現地のホテルで超常現象を経験した。夜中に「地震」で目を覚まし、這って行ってドアを開けたらピタッと止んだという。これに対して、精神科医・河合隼雄は「ぼくはそんなのありだと思っているのです」と応える。村上は「注」で、この体験を「死と通じ合った」時に生じた「精神の揺れ」ではないかと記している。
 河合は「人間は死というものを認識している唯一の動物」で、精神の病いの根底にあるのはいつも死だと語る。村上も物語を書くことは「死を先取りすることだ」という。
 民衆の生と死の営みの中で生み出されてきた民話としての「雪女」は、「語ってはいけないことを語る」ことで成立している。語ることで癒されるからだ。
 「婆ちゃん、あのお話して」と爐端で孫がせがむとしよう。 幼子を残して悄然と消えていく雪女の話をしながら、老婆は実は自分の身に迫っている死を語っているのだ。孫は老婆の声の微妙な揺れに、死を感じ取って哀しむのである。この時、語り手と聞き手は死を共有しつつ、どこかで癒されているのだと思う。
 「物語せよと言へ。われ汝の耳を魅せる話をせむ¬」(シェークスピア)

[文・田中裕介]

バックナンバーを読む