翻訳・通訳関係者の研修と交流 -レポート:第8回翻訳・通訳ワークショップ-

当日投写されたPower Point画面

 2016年4月30日(土)第8回STIBC日本語関係者有志主催の翻訳・通訳ワークショップが日系センター、楓の間で開催されました。前半の日英、英日の翻訳実習では20人の参加者からの活発な意見の交換が行われ、後半のプレゼンテーションでは、翻訳者の藤原雅子さんによるコンピュータ支援翻訳(CAT)ツールのデモンストレーションが行われ、通訳翻訳を仕事としている、あるいは興味がある人にとって意義深い一日にとなりました。

 ワークショップはまず、STIBC公認英日翻訳者のシャープ雅子さんの「読みやすい翻訳」を目指しましょうという掛け声とともに、主催者と参加者の全員が30秒ずつ自己紹介をするところから始まりました。画面に出る制限時間中に自分の翻訳通訳経験、興味分野を各自自己紹介をしましたが、翻訳、通訳を実際に仕事にしている人、将来仕事にしたく興味を持っている人、ワークショップに何度も参加されている方、初めての方、また、日本語を母国語としてないけれど、日英翻訳に携わっている方もおられ多岐にわたりました。

当日投写されたPower Point画面

当日投写されたPower Point画面

 続いて、成瀬晶子さんとSTIBC公認日英翻訳者の李アグネスさんをファシリテーターに翻訳の実習が始まりました。日英と英日両方の翻訳が取り上げられ、参加した多くの人がこの日の為にしっかり下調べをしていたようで活発な意見交換が行われました。最初は日英の翻訳で、課題文は村上春樹氏の大学の講義に招かれたときのスピーチを書き起こしたもの。小説の執筆と翻訳を、チョコレートと塩せんべいに例え、片方をしているうちにもう片方が恋しくなる、という文章で、まず塩せんべいを英語でどう表現するかが議題になりました。

 せんべいをrice crackerとするか、そのままsenbeiとするかは日本文化にどの程度理解がある読者が想定されるかが問題となるだろうという議論になり、はじめはsenbeiとしつつもあとからrice crackerと説明するという方法もあるという意見も出ました。またこれは話し言葉で書かれている文章なので、文中の「なっちゃった」や、「なにがうれしかったっていうと」といった口語的なニュアンスをいかに英語で表現するかも問題となりました。ファシリテーター側からは例えばYou knowのような口語表現を原文に忠実であるように気を付けながら入れていくことが重要であるという意見が出ました。

 二つ目はアルゼンチンの動物園で飼われているオランウータンに関する日本語の記事を英訳する課題で、裁判所がオランウータンに認めた「人権」をどう英語にするかが焦点になりました。クオーテーション付きで”human rights”としたり、non-human person rights、human-like rightsなど興味深い案が挙げられました。また記事中で裁判所が認めたオランウータンの「自由」の英訳としてfreedomかlibertyのどちらを使えばいいかについて、アグネスさんからまずlibertyは抑圧のようなものからの「解放」というfreedomとは違った意味があり、1800年ごろはラテン語、フランス語を経由して英語になったlibertyの方がより多く使われていたものの、現在は古英語を起源とするfreedomの方が使用例が多いという歴史的な過程について説明がありました。シャープ雅子さんからは、言葉というものは生き物で、常に意味合いも変化し続けていることに気を付けていかなくてはならないという指摘がありました。

 続いてはBC州政府が行っている狼の「cull」プログラムについての英文和訳の課題に取り組みました。「cull」は英和辞典では間引きという言葉が出てくるものの、この場合自然淘汰ではなく、ヘリコプターから行っている銃殺で、これに対するファシリテーターや参加者から出た訳語の候補は「狩り」「処分」「対策」「駆除」「有害駆除」と様々でした。これもまた、文章の背景をよく調べ、想定とする読者を確定しないと適切な日本語訳が難しいという例です。またこの文中で、州政府が狼を「scapegoat(犠牲にしている)」と表現している部分について、元明治学院大学教授の鹿毛達雄さんは動物に関する文章中で動物の名前(goat、ヤギ)の入った単語を使用するのだから、そのニュアンスも訳出すべきではないかとの意見を述べました。

 また、前回同様、一行翻訳にも取り組みました。今回は日本のCMのキャッチフレーズを訳するというもので「このろくでもない、すばらしい世界」の「ろくでもない」という言葉にinconceivable、unpredictableなどひとひねり利かせた訳が寄せられたのが印象的でした。

 そして、翻訳実習の最後は、女性の社会進出に関する英文の翻訳で、女性差別に関する英語の表現「glass ceiling」をどう訳出するかが問題になりました。これに関しても女性の昇進を妨げる見えない壁を意味するガラスの天井という言葉が日本語でも徐々に浸透しているというシャープさんからの指摘があり、翻訳者は変化し続ける言葉に対して徹底して調べることでついてゆく事が必要なのだという印象を改めて受けました。

 実習を終え、休憩ではお茶に加えて課題にちなんだチョコレートとせんべいも用意され、参加者同士での交流が行われました。

 休憩後はSTIBC公認翻訳者で翻訳者として活躍しておられる藤原雅子さんをゲストスピーカーにコンピュータ支援翻訳(CAT)ツールのデモンストレーションが行われました。藤原さんは翻訳者の間でも人気のあるTradosと呼ばれるソフトを長年使っているそうで、今回は国連の世界人権宣言の英日翻訳を例に使い方の説明が行われました。このソフトでは、翻訳メモリーと呼ばれるものに訳語を蓄積していき、類似の翻訳を行う場合の効率の向上が期待できるそうです。また、その他の主なCATツールとの比較やそのお値段、お買い得に購入する方法なども紹介され、プロ用のツールとしてお値段は張りますが、本格的に翻訳の活動を考えておられる方には参考になったはずです。また参加者の中には実際使用された方もおり、藤原さんからのアドバイスもありました。

 終了後も多くの参加者が残って、普段なかなか得られない交流の機会を楽しんでおられるようでした。世話役の皆さま、参加者の皆さまお疲れさまでした。

武田正継 

筆者たけだ・まさつぐ氏はワークショップ企画委員会のメンバー。同氏によると、通訳者を目指して2007年に渡加してきて道半ば。興味のある分野はコンピュータ、音楽、ミュージカル。