NAJCの人権大賞、テリー・和多田氏が受賞

 去る9月にバンクーバーで開催された全カナダ日系人協会(NAJC)の年次総会でNAJCの「ゴードン・平林博士人権大賞」をテリー・和多田氏が受賞した。そして、ゴードン・平林氏の子息であるジェイ・平林氏からその賞状が手渡された。テリー・和多田氏は著名な教育者で、若い日系カナダ人のロール・モデル、すなわち模範となっている人物である。同氏は熱心な人種差別反対の活動家、そして著名な文筆家でもある。

 NAJCはその目標として「全ての人々、特に人種的、民族的少数派の人々の平等な権利と自由とを目指す」という理想を掲げているが、この人権大賞はそれに貢献している個人あるいは団体に与えられるものである。

 この賞は2012年以来、隔年、カナダで人権と平等の促進に貢献したカナダの個人あるいは団体を表彰するものであり、最初の受賞者はバンクーバー在住の鹿毛達雄氏であった。

テリー・和多田氏の活動

 1970年代初頭から和多田氏は人種差別の対象になっている北米のアジア系少数民族の困難に関する一般の人々の認識を高めるための活動に積極的に参加している。「パウエル・ストリート・レビュー」の一員としてアジア系カナダ人の数件の出版物に寄稿するようになった。1972年にはアジア系の人々の会議を企画し、それに参加している。1977年の最初の日系青年会議がきっかけとなって、長年続いているパウエル祭りが始まったが、同氏は当初からこの祭りの参加者で支持者でもあった。日系人に対する補償の運動の過程で同氏はよく知られたその活動家であり、テレビやラジオにしばしば出演し、運動を代表して発言している。そのために同氏は日系人コミュニティ内外の補償に反対する人々による攻撃の対象となった。

 同氏は著述家としてもよく知られている。詩や小説、歴史叙述などの著作の中でカナダにおける日系人の経験に触れている。精神疾患の問題を取り扱ったものを含めて、数編の戯曲は国際的にも評価されている。同氏の日系人コミュニティに対する貢献は「権利と自由のためのヘイステイングス・パーク基金」の理事長を務めることを通じて続けられている。また、最近の詩集『百の幽霊のゲーム』(ツアール出版)の販売促進のための発表会はカナダ各地で行われる予定である。さらに日系人による初めての漫画三部作の著者でもある。その第1部、『刀とメダルとロザリオ』は昨年のNAJC年次総会で発表、公開されている。音楽家でもある同氏は現在、「遁走する馬の群れ」と題する最初のアルバムのCDによる改訂版発行の準備に取りかかっている。そのCDの売り上げによる純益は日系人収容記念センターに寄付されることになっている。以上の様なコミュニテイに関係する長年の活動の傍ら、同氏は32年にわたってカネカ・カレッジの英語教授の職にある。

 和多田氏が人権と人種差別撤廃の振興・促進に貢献しているから「ゴードン・平林博士人権大賞」受賞の最適任者であるというグレーター・トロントのNAJC加盟団体の推薦をNAJC理事会は受け入れている。

人権大賞と平林博士

  すでに触れたように、「ゴードン・平林博士人権大賞」はNAJCの人権に関する使命の重要性を強調することにあるが、さらに、平林博士が私たちすべてを勇気づけるモデルであることを認識して設立されたものである。

 平林氏は1918年にアメリカのワシントン州、オーバン(Auburn)で出生。人権の諸原則を擁護する勇気と指導力によって、カナダとアメリカでよく知られている。

 1942年5月、大学生でクエーカー教徒、平和主義者であった同氏は日系アメリカ人に強制された夜間外出禁止令に意図的に違反した。同氏はこの政府命令が憲法に定められている自分の権利を侵害するものであると考え、それに挑戦したのである。アメリカ高裁に控訴した裁判に敗訴した結果、90日間投獄された。1987年に至ってアメリカの裁判所は同氏にたいする有罪判決を取り消し、強制移動と収容の政策が政治的便宜に基づくものであって、国家的安全の危険に基づくものではなかった、という判断を示した。

 大戦後、同氏はワシントン大学で勉学を続け、社会学の学士、修士、博士号を取得している。平林博士はカナダ市民権を取得し、エドモントに居住し、1963年から70年にかけてアルバータ大学、社会学部の部長を務めた。そして1983年に引退している。

 同氏はエドモントン日系人コミュニティ協会の活動に積極的に参加した。「モシモシ」と題する同協会のニュースレターを発刊し、補償の運動に関するニュースをコミュニテイに提供した。1980年代には同氏はNAJC理事会のよく知られた活動的な理事であった。同氏は歴史的な展望と理解、そして、個人の権利に関する強固な信念の持ち主であった。それがNAJCの補償に関する諸原則の形成に役立ったが、加えて、中国人の人頭税、ファースト・ネイションとイヌイットの寄宿学校問題に関する問題解決などその後の補償問題に関する解決のための準備に貢献されているのである。2003年にはNAJCの功労賞「ナショナル・アワード・オブ・メリット」を授与されている。平林博士は2012年1月2日に逝去された。

[文・Lillian Nakamura Magire(NAJC理事)・訳・鹿毛達雄]