未解決な慰安婦問題―日韓の合意を検討する

 昨年末の12月28日、韓国のソウルで日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相との間で成立した元慰安婦の問題に関する合意が発表された。この合意は共同声明でなく、両国の外相がそれぞれの立場を発表するという形を取っている。

合意の問題点

1. 責任の所在:

 日本政府の責任:日本の岸田文雄外相は声明の中で、「軍の関与の下に」と言う表現を使い、「軍が」という表現ではない。砕いて言うならば、慰安婦問題は、業者が慰安婦を集めて慰安所を設置した問題であり、軍の、従って政府の責任はその監督が不十分であった、という意味が込められていると見える。従って、日本政府が「痛感しているのは」そのような責任であり、従来から「法的責任」認めて被害者に「賠償」することは想定されていなかったし、今回も「心の傷を癒す」一種の見舞金として韓国が設立を予定している財団への支出を認めたのである

2.最終的な解決か:

 両国外相が共通して触れているのは、この合意によって 1)「問題が最終的、かつ不可逆的に解決される」という点であるが、しかし、被害者や民間の支援団体は最終的な解決とは見ていないし、国連の人権擁護機関などからも批判がありえよう。2)「今後、国連など国際社会において、本問題について互いに非難、批判することを控える」と言う点も両国政府の都合に触れたもので、両国の国民の意向や国際世論をどの程度反映しているかのだろうか。疑問が残る合意点といえよう。総じてこの合意には慰安婦問題が日韓関係の問題に限定されている。両国政府には普遍的、国際的な女性の人権問題だというこの問題の広がりを視野に含める積りがないと思われる。

3. 何のための資金支出か:

 日本側は元慰安婦に関する支援として10億円の政府資金を韓国の財団に提供するという点は目新しいが、しかし、この韓国の財団の活動に日本側の意向がどのように反映されるのか、あるいは、韓国側もこの財団に資金を提供するのか否かも明確にされていない。この資金でどのような事業を行うのかも明らかではない。この資金に被害者やその近親家族への個人補償が含まれているとは思われない。

4. 少女像撤去:

 もうひとつの問題点として、日本側が主張していたソウルの日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像の撤去について、韓国の尹外相は「関連団体との協議など適切に解決されるよう努力する」と表現している。しかし、岸田外相がこの問題に何ら触れていないのはなぜか。民間団体が設置した少女像撤去を政府間の合意に含めると問題が残ることを日本側が意識して、韓国側の努力目標のみが明言されているのだろうか。

5. 被害者不在の合意:

 この合意には被害者不在という本質的な問題がある。言い換えれば、合意の準備として被害者の声を聞くことがなかったし、それが反映されているとも言いがたい。そのため、政府による公式の謝罪、法的責任の認識などを求める生存する被害者(46名存命)や支援団体の中からはこの合意の直後から反発や批判の声が挙がっている。

6. アメリカの支持:

 アメリカ政府はこの合意には直ぐさま支持を表明した。アメリカにとって軍事的同盟国である日韓両国の関係が改善されれば、アジアで、特に中国や北朝鮮に対抗するためのアメリカの軍事的負担の軽減や影響力の拡大に繋がる。日韓両国政府はそのようなアメリカの意向を意識しながら、「合意」の成立に努めたと思われる。そのような要素があったこともあって、今回の被害者不在の合意となり、本来の問題の解決の見通しが不鮮明になっている。(参照:Chuck Chiang, Comfort Women’ deal hardly settles the issue, The Vancouver Sun, January 4, 2016, A11.)

7. 教育的な配慮の欠如:

 今回の合意の中では、特に日本の義務教育の中で慰安婦問題を若い世代に理解させる努力について触れられていない。あえて言えば、過去の誤りから学ぶという姿勢が見当たらない。この点で、この慰安婦問題の先駆的研究者、吉見義明氏(中央大学教授)が韓国メデイアのインタビュー(ハンギョレ、2016年1月9日)の中で指摘しているように、1993年に河野洋平内閣官房長官が談話の中で「歴史研究、歴史教育を通じこのような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」決意を表明しているのに比べて、今回の合意は後退しているのである。

資料:

岸田文雄外相の声明

「慰安婦問題は軍の関与の下に、多数女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している。」

「安部晋三首相は日本の首相として、あらためて、あまたの苦痛を経験し、心身にわたり癒しがたい傷を負ったすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。」

「日本政府はこれまでも本問題に真摯に取り組んできたが、その経験に立って、日本政府の予算により、すべての元慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講じる。具体的には、韓国政府が元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括に拠出し、日韓両政府が協力して全ての慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、こころの傷を癒すための措置を講ずる。」「具体的には韓国政府が元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、日本政府の予算で資金を一括で拠出し」「予算措置については、規模として概ね10億円程度となった。」

「以上の措置を着実に実施することの前提で、今回の発表によりこの問題が最終的、かつ不可逆的に解決されることを確認する。日本政府は韓国政府と共に、今後、国連など国際社会において、本問題について互いに非難、批判することを控える。以上のことについては、日韓両首脳の指示に基づいて行ってきた協議の結果であり、これをもって日韓関係が新時代に入ることを確信している。」

尹炳世(ユン・ビョンセ)外相の声明

「韓国政府は韓日国交正常化五十周年を迎え、両国間の中核的な歴史懸案である慰安婦問題の早期解決のために積極的に努力してきた。特に11月2日、首脳会談で朴槿恵(パク・クネ)大統領と安部晋三首相が、今年が国交正常化五十周年という転換点に当たる年であることを念当に、できるだけ早期に慰安婦問題を妥結するための協議を加速化しようという政治的決断を下し、以降、局長協議を中心に本問題に対する両国間の協議を加速してきた。」

「韓国政府は日本政府の表明と、今回の発表に至るまでの取り組みを評価し、日本政府が先ほど表明した措置を着実実施することを前提に、日本政府と共に本問題が最終的、かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は日本政府が実施する措置に協力する。

韓国政府は日本政府が在韓日本大使館前の少女像に対して公館の安寧と威厳の観点から懸念していた点を認知し、韓国政府としても可能な対応方向について関連団体との協議など適切に解決されるよう努力する。

韓国政府は今回、日本政府が表明した措置が確実に実施されることを前提に、日本政府と共に今後、国連など国際社会で本問題について互いに非難批判を控える。」 (「東京新聞」、2015年12月29日、朝刊)

[文・鹿毛達雄]