難民の受け入れと反テロリズム法

 昨年秋以来のシリア難民の問題は10月19日 の連邦選挙の主な争点のひとつとなった。そして選挙に勝利したジャスティン・トルドーが率いる自由党政府の下で、2万5千人の難民受け入れが始まっている。難民の中に混じってテロリストが潜入するのではないか、という危惧が表明されることがある。しかし、国連(難民高等弁務官事務所)やカナダの移民当局で審査や選別が行われていること、最近の130人の死者を出した11月13日にパリーで起こった同時テロや12月2日の14人の犠牲者を出したカリフォルニア州、サンバーナディーノの乱射殺害事件の実行犯たちは概ね中東、アフリカなどの遠方の外国から潜入したイスラム教徒ではなく、それぞれの国や隣国で育った人びとであったことなどを想起すべきであろう。

 ところで、アメリカ共和党のドナルド・トランプ氏は有力な大統領候補と見なされているが、同氏は1942年のルーズベルト大統領の日系アメリカ人の強制収容政策を正当と認めて引きあいに出しながら、シリアなどからの難民のイスラム教徒の入国、移住の全面的禁止を主張していて、一部のアメリカ人の人気を博している。このトランプ氏の主張にたいして、ここカナダでは同調者は少ないと見える。むしろ、入国と同時に一般の移住者と同様に永住権を認められるシリア難民にたいする支援、カナダ社会への定着援助を支持する人びとが多数を占めている。

 しかし、もしも万一、フランスやアメリカの場合と似た事件がここカナダで起こったとしたら、多くのカナダ人はイスラム教徒の難民の受け入れに反対の声を挙げるだろうか。イスラム教徒、難民をテロリストと同一視することは単純で短絡的な考え方、人種差別に繋がる危険な見方である。私たちは人道的観点からだけではなく、特に日系人の歴史的体験を念頭において難民を歓迎し、定着援助を支持するという原則的な態度を維持しなければならないだろう。

反テロリズム法の再検討

 シリアの難民問題が連日報道されるなかで、自由党が選挙運動の中で見直しを公約した問題点、Bill C-51が上下両院で採択されて昨年6月18日に「反テロリズム法」となったものの検討は二の次になっているように見える。端的に言えば、あまり論議されていないのである。しかし、難民の受け入れと反テロリズム法とは直接に繋がっている問題である。

 この法案Bill C-51に関しては早くからJCCAは問題点を指摘し、憂慮を表明している。この法案に関する論議が始まっていた昨年春、3月21日付けのJCCAによる報道機関に対する発表の中で、この法案に含まれる危険性をロレーン・及川会長は次のように説明している。

「日系カナダ人がイスラム教徒や先住諸民族を攻撃の的にすることに反対の声を挙げたり、あるいは、環境破壊に抗議するデモなどの活動に参加し場合に、日系人が標的にされ、航空便を利用することを禁じられ、身柄を拘束され、国の安全に対する脅威だと公表されることになりかねない。」 (Bill C51 is History Repeating itself. GVJCCA Press Release. March 21,  2015.)                                   

  特に強制移動と収容を体験した日系人の立場から、保守党政権の下で自由党にも支持されて成立したこの「反テロリズム法」の法律の改定、ないし廃止を主張し続けている。そのような私たちの立場は連邦選挙の直前の10月3日にJCCA人権委員会が開催した「補償の遺産フォーラム」でも主要な話題となった。

 この法律は公安当局(Canadian Security Intelligence Service: CSIS)の権限を強化して、市民の言論の自由を制限し、個人のプライバシーを侵害する危険など多くの問題を含んでいると指摘されている。具体的には、CSISは従来のように単に情報収集だけではなく、脅威となるような事態に介入、阻止できるようになった。そのような活動が法律違反、憲法違反となる可能性がある場合には、CSISは裁判所から事前に令状を取得することになっている。しかし、その申請手続きの際の聴聞は内密、非公開で、それには政府側のみが参加できる。このような手続きは裁判所の判事を憲法の「番人」から「違反者」にしてしまう危険があると批判されているのである。

 この点を含めてこの法律にたいして、カナダ公民権協会(Canadian Civil Liberties Association)などがカナダの憲法に違反するものだと主張して違憲訴訟を起こしている。この違憲訴訟でも、この反テロリズム法によって,.すでに触れたような環境問題、先住民の権利などを主張する大衆的な抗議活動が過度な取り締まりの対象になりやすいことなど、市民の基本的権利の侵害の危険などが念当に置かれているのである。憲法や既存の法律に違反するような公安当局の活動にどのような議会による歯止めが新たに規定されるだろうか。今後の政府の対応に注目しなければならないだろう。(参照、Sean Fine. The Changing shape of Bill C-51. The Globe and Mail,  Nov. 17, 2015, A 15.) 

近刊予告:

日系カナダ人シニアの証言集

“Honouring Our People: Breaking the Silence”

JCCA人権委員会の今年はじめの活動のひとつとして Honouring Our People: Breaking the Silence {英文、「日系人を顕彰する:沈黙を破って」}と題する2009年にバーナビーの日系センターで行われた会議の記録の発行がある。

数十人の日系シニアによる会議における発言やインタビューを大勢のボランティアの協力を得て書き起こし、編集したもので、250ページ余りのレポートとなる。これは、戦争、収容体験を持つシニアの経験をまとめて記録に残す最後のチャンスとなるかもしれない。

日系人の証言は収容されたキャンプごとに編集され、さらに大戦後、日本に追放された人、あるいは、大戦勃発当時、日本に滞在して足止めされ、収容は経験しなかったが、米軍の空襲を体験した人などの証言も収められている。

この本は日系カナダ人の歴史を知るための第一次史料、必読書となるであろう。現在、印刷のための最終的なレイアウトなどの作業に取り掛かっており、1、2ヶ月のうちに発行される予定で、発表会や発売の予定は近日中に確定し、公表されることになっている。

[文・鹿毛達雄]