働きing:諏訪晴子/ハルちゃん

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 カナダで介護福祉士としてデビューしたばかりのハルちゃんこと諏訪晴子さん、一見して育ちの良いお嬢さんに見受けられる彼女が介護福祉士として頑張っているのに興味を抱いたのでインタビューしてみました。

—いつカナダに来ましたか?  

2011年の11月1日です。1があまりにも続くのでよく覚えています(笑)。 ワーホリで来た当初はジャパレスで働いたり語学学校に通ったりしていました。

—カナダに来たのは最初から介護福祉になろうという目的があったんでしょうか?  

不謹慎なんですが、実は介護福祉士になろうという意思はまったくなく、かといって英語を勉強したいという気持ちがあったわけでもなく、海外への憧れも全くなくただなんとなくきてしまった感じです(笑)。

—そうなんですか!なんだか抱いていたイメージと違います。  

がっかりさせてごめんなさい。  正直なところ日本での生活が目まぐるしく疲れていてどこでもいいから逃げたかったんだと思います。その頃はあまりにも疲れていたので無意識でしたが…。

—日本では何をしてたんですか?  

4つ仕事を掛け持ちしていました。保育士と介護士とガイドヘルパー(障害者の外出補助)、カフェでも働いていました。今思うとよくやってたな〜って思います(笑)。

—それはいくらなんでも燃え尽きますね(笑)。その頃から介護の仕事はしていたんですね。どういう経緯で介護の世界に?  

子供が好きで大学在学中に保育士の免許を取ろうと勉強に勤しみました。大学で児童福祉研究会というクラブに入りあちこちの施設訪問をしているうちに介護の世界にも携わっていくようになったんです。  ちょうど大好きだった祖母の介護も必要な時期でのめり込んでいったというとこでしょうか。ただそれが燃え尽きた原因だった気がします。

—介護は精神的にも来ますものね。  

はい、祖母の介護は半年だけだったんですが、それでも…。  あの頃は感情移入してしまってただただ疲れてしまっていたんです。一線を引いて物事を聞くことが全くできていなかったんですね。

—身内だと尚更ですよね。  

介護にも疲れて、将来やりたいことが見えなくなってしまったんです。20代で生きてくのに疲れを感じてました。  そこへ追い打ちをかけるように周りからの結婚のプレッシャーです。お見合い写真とかを親が持ってくるんです。

—お見合いの話がそんなに来るということは名家なんでしょうか。  

それほどではないですけど、同級生に「いいな〜」と言われたことはあります。でも、外からでは中はわかりませんから…。  とにかく全てに嫌気がさしてわ〜っと飛び出してきてしまいました(笑)。

—本当に何がいいかはその人の主観によりますね。ではそんなに嫌だった介護の仕事になぜまた?  

渡加したばかりの時は『プチ鬱』になっていたので人に尽くすということを極力避けてセラピー系のワークショップ等によく参加しました。真剣に将来を考えることもなく、自分にフォーカスする日々を送っていました。 ワーホリが終わるという時に初めてこれからどうするかを考えたんです。その時にやっぱり日本には帰りたくないなという思いと同時に介護をまたやってもいいかなという考えが湧いたんです。  考え始めると(介護好きだな〜、やっぱ天職かな〜)と思えて、バンクーバーで介護の学校を探した後、見学、入学のためのテストと体がどんどん動いていったんです。  8ヶ月で学校を卒業し、資格を取得して最近雇用主が見つかったのでワークVISAの申請をしています。2年働いたら移民申請もできるのでそれも考慮しています。

—日本で疲れきっていた話からすごい飛躍ですね。  

全くです(笑)。  今は介護の折に一線を引いて接するということもできるようになり、前のように精神的に疲れることもなくなりました。元々はおばあちゃん子でお年寄りの話を聞くのが好きだったので、私たちが知らない戦時中の話や、彼らの経験談を聞くことによって知識が増えることに喜びを感じています。感謝もされますし、素晴らしい仕事に携わっていると実感します。

—終始笑顔で明るく話すハルちゃん、きっと色々な体験を乗り越えてきたからこそ自信と素敵な笑顔を備えることができたのでしょう。  

痛みを経験した人は、人の痛みをわかって和らげることができるのだと取材を終えて実感しました。

[写真・文:Sleepless Kao