カンバーランドの炭鉱労働者追悼記念週間の行事から その2

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2014年6月14日、カンバーランド、ロイストンにて(続き)

 カンバーランド博物館・文書館の代表者が歓迎の言葉を述べ、日系カナダ人や中国系カナダ人が公営墓地に埋葬を認められなかった時代について、そして、別々の墓地があったことを説明した。
 第二次大戦勃発後、日系カナダ人の家族が移動を強いられが、大戦中に日系カナダ人墓地は心無い者によって破壊された。墓石や墓標などは倒され、一部は取り去られ、あるいは動かされ、破壊されたものもあった。日系人の移動収容の後には、この墓地を管理し、世話をする人が誰もいなくなっていたのである。
 1960年代に一部の地元の人々は、墓地が荒れ放題になっていることを憂慮した日系カナダ人と協力して、墓地を元通りにしようと試みた。しかし、不幸なことに誰も墓石や墓標が元来どこにあったか、言いかえれば、破壊が行われる前の状態を知る人がいなかった。そのため、墓地は残存している墓石、墓標を墓地の中心に輪のように並べ設置することで復元され、現在に至っている。
 歓迎の言葉や前置きなどが終わると、話をするよう私が指名された。私はアメリカに渡航した土井兄弟の経験を話した。兄弟のうち二人はさらにカナダに移動し、カンバーランド地域に落ち着いたのである。私の祖父はカンバーランドで生まれた。祖父は少年時代からさまざまな職に就いた。酪農場での仕事や父親と一緒に炭鉱の仕事にも就いた。次いでロイストンの製材所で働いたが、もっと面白い刺激的な仕事に憧れ、伐採人になった。私は話をしながら横挽きのこぎりが樹に切り込んでいく音が聞こえてくるような気がした。
 母や伯父から聞いた話の断片に依拠しながら、私は日系カナダ人の家族にとって生活がどんなものであったかを話した。日系人がコミュニテイの実際の一部を成しており、顔を持たない政府の認識番号ではなかったことにも触れた。当時の様子を聴衆が理解する一助になったと思う。日系人が[敵性外国人]見なされ、強制移動させられ、コミュニテイの分散と破壊に触れて話を締めくくった。当時の不当な取り扱いが私の胸に突き刺さり、懸命に働き、家を愛し、移動を余儀なくされ、再び帰ってくることがなかった人びと。私の祖父母や家族、さらに日系人のことを思って、苦痛を感じたのである。
 開会の催しが終わったとき、祖父の野球への情熱に触れなかったことに気がついた。祖父は炭鉱第5号のチーム「サン」の投手だった。さらに、カンバーランドのチームに加わってプレイした。そして、投手として知られていたので、有名な「アサヒ」チームにスカウトされて、一時期、バンクーバーに滞在したこともあった。
 私にとって幸いだったことはフロレンスが私を個人的にガイドをしてくれたことである。その週末に、日本人町第1号と第5号やロイストンを案内してもらった。ロイストンはカンバーランドの東で、車ならすぐのところ、ここは私の母が住んでいたところである。フロレンスが母と一緒にミント学校に通ったころの話をしたとき、彼女の目には少女のやうな輝きを浮かべた微笑が漂っていた。
 フロレンスは抜群の記憶力の持ち主で、どこに日系人の家族が住んでいたかを話してくれた。「 西村さんの家はあの杉の木のところ、道路の向かい側には岩浅さんの家、そして木村さんはあの路地の傍だった。」大きな目立ったビルについて尋ねたところ、そこにはかってこの地域唯一の仏教会があったことを知らされた。日系人は誰でも歓迎したとフロレンスは語り、立派な舞台があって、舞踊やそのほかの余興を見物したことも記憶している。

2014年6月15日、日曜日、カンバーランド、ナナイモ

日曜日にワークショップや全体集会が終わると、私は帰途に着いた。道路をカンバーランドから南にドライブして、ナナイモからフェリーに乗った。フェリーがデパーチャー・ベイを出港したとき、私は1880年代に日本から米国、あるいはカナダへの旅に私たちの祖先が何週間も費やしたことに思いを馳せた。バンクーバー島からバンクーバーへのわたくしの旅は僅か1時間半。それだけでない。料理したばかりの食事、水洗トイレ、 蛇口を開ければすぐ出てくる水、さらにE-メール、手元のスマート・フォーンでの退屈しのぎなど近代的な便宜が揃っている。
 日系カナダ人のパイオニアたちは過酷な条件の下でカナダでの生活を確立し、さらなる困難や人種差別にも耐えた。彼らは生き延び、成功と繁栄を手に入れた。パイオニアたちのこのような経験の物語を忘れないことを含めて、私たちにはその人たちに負うところが多大なのである。

カンバーランド博物館・文書館  (Cumberland Museum and Archives)

http://www.cumberlandmuseum.ca/events/enjoy/miners-memorial-weekend

太平洋岸北西部労働運動史協会 (Pacific Northwest Labour History Association)

http://pnlha.wordpress.com/

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[文・ロレーン・及川、訳・鹿毛達雄]