ついに実現ダブリン訪問 不屈の精神に育まれた文化を堪能

 アイルランドってどんな国なんだろう。19世紀の大飢饉以来北米、オ−ストラリアなどへの移民が数世代続き英語圏には必ず有力者を含むアイルランド系がアングロサクソン系と共に幅をきかしている(例:カナダ首相マルローニー、米大統領ケネディ)。歌や踊りにはプロから一般愛好家まで長けていて、パブでスタウト(黒ビール)をかたむけつつ冗談まじりに延々と語り合うのが社交の常。ジョイス、スウィフト、ワイルドなど多くの文豪を輩出している。毎年、英語圏各都市で聖パトリック祝祭日にはアイルランド系の大行進などで盛り上がり、移民の子孫たちが好む無数の望郷のメロディにはアイリッシュじゃなくてもグッとくる。<ダニーボーイ>然り。現代ポップスだったらU2も生粋のダブリンっ子です。

 映画ならオールド・ファンとして<アラビアのローレンス>で有名になったピーター・オトゥールは好きなスターの一人だが、実力派かつ大酒飲みだった彼も、また情報員ジェームス・ボンド役で有名なピヤース・ブロズナンもアイルランド人だ。英語圏以外で英国人と思われている著名人の相当数は、苗字が示すが如く同系だ。ちょうど北米以外でアメリカ人と思われている俳優、歌手やスポーツ選手の中にカナダ人がかなりいるのと同様。日本人でも俳優ダン・アクロイドや歌手アヴリル・ラヴィーンがカナダ人だとは、ファン以外は大方知らないのでは。実は、日系カナダ人とアイルランド人にも、ある共通点を見出したのだが、ついては文末で触れる。

 そのアイルランド、昔ロンドンで働いていた頃から興味はあったが行く機会がなかった。18年前カナダに移住してからも親戚や旧友が居るシンガポールや東京に数年に一度は優先して行かねばならないので、旅費がかさむ遠方のダブリン見物などは<いつか将来の夢>だった。ところがこの度、色々お世話になっている家内(元シンガポール国籍)のお兄さんの令嬢がロンドンで英国人青年と結婚式をあげることになり、シンガポールの親戚たちも来るのでどうしても列席したかった。ロンドンは自身3年ぶりだったが、家内と共にこれを機会に、ついに人生初めてのアイルランド旅行を敢行。とは言えダブリンにたったの3日4泊滞在しただけだったが、それでもついに半世紀にも渡る願望が実現、かすかながら同国文化の真髄にも触れた気がした。

 一概に皆さん親切で話好きの様だった。空港からホテルまで乗ったタクシーの運ちゃんは、早速、黒ビールがいかに国民生活に大事かを語り始める。「献血をすると1パイントのギネスが貰えますよ。また議会では交通量の少ない田舎の農民がパブで制限の2パイント以上飲んでも、トラクターのノロノロ運転で帰れば許可するという法案が検討されてます」と、どこからがジョークなのかわからなくなってくる。かつて庶民・農民たちが英国系支配層に搾取されたのち英国と2年間の戦争をして1922年ついに共和国として独立に至った苦難の道のりで流してきた血と汗…その癒し、代償があの濃い琥珀色(「ダブリンの空に透かして見ると」とツアーガイド)のスタウトなのだろうか。よそ者には到底計り知れない。

 中心の目抜き通りオコンネル街付近のホテルにチェックイン。6階の部屋の窓から望むダブリン市街のスカイラインは低くはるか彼方まで見渡せる。聞いたところによると、幾世紀もの歴史をもつカテドラル、城砦や豪邸などが特徴の古い市街の佇まいが損なわれないよう新規のビルは10階以下に制限されているそうだ。同市とダブリンっ子の印象については、昔記者時代に重宝した情報源、すなわちタクシーや観光バス運転手やガイドさん、パブのマスター、ウェートレス、ホテルのフロント係り、店員などから聞きあさったことを綴ってみる。

夕刻になると<アイルランド>と聞いただけであのハープ(竪琴)の印でお馴染みのギネス・スタウトを連想してしまうのは自身がたまたま<左党>のせいか。国章の竪琴は、既にギネス社が商標登録していたものを共和国成立の際に政府が同社の合意のもとに採用したそうだ。例のギネス工場見学ツアーで聞いたのだが、威信を保つためか国章のハープは右向き、ギネスのは左向きになっている。同国の社会・文化にこれも欠かせないのが様々な音楽だから、その意味でも相応しい。楽器が国章になっている国って他にあるだろうか。

 オコンネル街の中程にある円柱が並ぶ見事な古代ギリシャ風前面の建物は由緒ある中央郵便局だ。1916年のイースター蜂起の時に反乱軍の司令部となり英国軍の攻撃で著しく破損したが、共和国になって修復され、今も同国独立の象徴となっている。ツアー・バスで通り過ぎる度にガイドさんが説明するのですぐ覚える。次にダブリン城は英国国王ジョンが13世紀に築かせた要塞に沿って後年大ホール、謁見の間、晩餐の間、チャペル等々が建てられたもので、独立するまで英国の総督府が置かれていた。今では大統領就任式やヨーロッパ議会の会場の他文化センターとして使われている。案内つきツアーで観光客が巡る一室にはイースター蜂起の指導者7人の肖像が飾られている。英国当局が逮捕した<首謀者>の7人を容赦なく処刑したので怒った民衆が反英で団結、6年後の独立に至ったのだ。

 トリニティ・カレッジ(ダブリン大学)は400年の歴史と伝統をほこるアイルランド最古の大学で、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、などと並び中世からルネサンスにかけてイングランド、スコットランドとアイルランドで創立され現存する7つの大学、<古代の大学(ancient universities)の一つだ。構内の博物館に所蔵されているケルズの書(Book of Kells)は、8世紀に製作された聖書の手写本。世界一美しい本とも呼ばれる。

 ダブリンっ子の密かな自慢は同カレッジが輩出している錚々たる文豪や作家の数々だ。ざっと挙げてもフランスで有名になった劇作家・詩人・小説家のサミュエル・ベケット、<ガリヴァー旅行記>の作者として有名ま風刺作家ジョナサン・スウィフト、耽美的、退廃的、懐疑的な19世紀末の風潮の旗手とも言われるオスカー・ワイルド (「私は何にでも打ち勝つことができる、誘惑以外なら。(拙訳)」とのたまった)、あの<吸血鬼ドラキュラ>の原作者として有名なブラム・ストーカー、また明治時代に来日したカトリック教宣教師のウィリアム・ライトも卒業生だ。

 ガイドさんたちが、半分得意げに語るアイリッシュの国民性は一口に権力に対する反骨精神、つむじ曲がりとも言えるか。「私たちは何か頼まれると手伝ってあげるが、命令されると反抗するのです」と口を揃えて言っていた。かつて上級官吏や裕福層が住んでいた瀟洒なレンガ造りのジョージア王朝様式のアパート街の各家のドアがピンク、黄色、空色、赤など色とりどりに塗ってある。「あれはビクトリア女王の国葬の際にドアを皆黒く塗るように布告されたので、わざと明るい色を塗った名残です」とガイドさん、「…本当かどうか」と付け加えてはいたが。

   どのストップでも自由に乗り降りできる名所旧跡巡りバスツアーに頼ったせいか、歴史のレッスンのような印象記になってしまった。もちろんヨーロッパ、アジアその他にも由緒ある古都は幾らでもある。でもダブリンの魅力は、環状ロードに囲まれた比較的小さな面積の中に重要な歴史的、文化的名所が集中している点だ。歴史の密度の濃さが感じられる。

 最後に食べ物とエンターテインメントについて。パブ・ランチやチェーン店のバーガー、サンドイッチも類はカナダと同じだが、随所にイタリア料理店が目立ち、2軒ほどで夕食を摂ったが味付けは本物だった。ここ30年ほどヨーロッパからの移民が増えているが、イタリア人が多いそうだ。高級フランス料理屋や寿司屋は見かけなかった。音楽の国だけに夜の飲食店街を歩くとどのレストラン、どのパブでもギターの伴奏でフォークやブルースを歌っているし、昼間からあちこちで頑張っている大道芸人ミュージシャンたちは、今時多くアンプとエレキギターを使っており一概にバンクーバーよりはレベルは高かった。

 結びに、日系カナダ人とアイルランド人にも見られる共通点についてだが、両者とも逆境を乗り越えてきた広い意味での<少数民族>としての自己認識を持っていると思う。前者は、戦時中に白人の政府により敵性人種として強制的に収容所に送還されたのが不公平だと是正運動を展開して政府の謝罪と賠償金を勝ち取った。後者は、武力抗争によりアングロサクソン系英国人による長年の支配からケルト系アイルランド人の国家として独立を勝ち取った。歴史的背景、状況や規模が著しく異なる両者、こじつけと言えばそれまでだが、どちらもマイノリティとしての存在を常に意識して、それが社会運動や芸術的創作活動の動機となっている。

 短い滞在だったが接する人々は一概に親切だった。こちらはインド系カナダ人と日本人、明らかに外国人とわかることもあったのだろうか。英語の訛りですぐ国籍がわかってしまう英国人は今でもパブでサービスを拒否されるようなことがあると耳に挟んだが、スコットランドやウェールズの人々も含む大英帝国(Great Britain>の複雑な歴史・文化に触れるのにも、音楽、美術、ショッピングに食べ歩きを楽しむのにもお薦めのダブリン訪問、数週間経った今なおその余韻に浸っている。是非もう一度行ってみたい。 

[文・渡辺正樹]