ジャズと日本伝統音楽、二つの世界に及ぶ 我が道を進むドラム奏者バーニー・アライ

日系カナダ人のパイオニアたち

    <日系カナダ人のパイオニアたち>とは、カナダ日系社会内外において各々の分野で同僚や一般大衆に認められる貢献をした、又はしつつある日系男性、女性たちとのインタービューを基にした準定期連載シリーズ、今回が第2回です。皆様ご自身の体験と照らし合わせて、幾分でも面白いことや有意義なことを読み取っていただければ幸いです。

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 実は筆者一応パートタイムのジャズ・ギタリストとして長年彼のファンなのだが、バーニー(と呼ばせていただく)は間違いなくパイオニア的な音楽家の一人と考える し、カナダ国内及び海外でも同意見のミュージシャンやジャズ・ファンが大勢いる筈である。

 その 理由は一流のジャズ奏者は皆<独特の音色>を持っているが、バーニーの場合、バス・ドラ、タムタム、スネアの大小ドラムを始めハイハット、各種パーカッション楽器まで必ず、強過ぎなく、かつ弱すぎない絶妙のタッチで叩く。この独特の持ち味と、あの分厚い皮を張った大太鼓を渾身の力で叩く和太鼓と関連があるように思えるだ。  (ジャズとは複雑きわまる怪物、この私見まったく的外れかもしれないが。)

 各種のドラム、各国の民族楽器を使いこなし、さらに(「あくまでも個人的に」)尺八も吹く<マルチ奏者>としてバーニーはコンボ、ビッグバンドなど伝統的様式のほか、より実験的なグループ演奏を通じてまさに新しい分野をも切り拓いているのだ(Discographyをご参照に)。

  同氏の音楽に対する多文化的アプローチはどこからきたのだろう。その日系カナダ人としての存在は、かつて日本航空の搭乗員として東京—コペンハーゲン便を行き来するうちに知り合ったという、群馬県出身のお父さんと新潟県出身のお母さんに遡る。その後一時コペンハーゲンで暮らしていたご両親は、趣味の海外旅行の途中バンクーバーを<発見>し、大好きになった。   結局近郊のリッチモンドに移住、バーニーは1976年にそこで生まれた。ここに住むお兄さんと、オーストラリア人と結婚してメルボルンで暮らすお姉さんがいるそうだ。

 言い換えればまさに<ボーダーレス>  な一家、ちなみにご両親は戦後に北米に移民した所謂<新一世>、バーニーは<新二世>ということになる。そうした生い立ちの為か、またはバンクーバーのまさに多文化的な環境の為か、 同氏の演奏には<現世のもの>とはかけ離れた様なサウンドもあるようだ。

 インタビューは夕陽のさす、あのオッペンハイマー公園で行った。それは近所のパトリシ・ホテルのレストラン・バーで前衛的ジャズ・コンボとの演奏を済ませ、夜は別の店での仕事がある同氏に、適当な場所で急いで話を聞いた為であった。スタンダード曲を好むバンドにしろ前衛的な作品を試みる音楽家にしろ、みんなドラムはバーニーを使いたがるようだ。

    ところで、同公園で会ったのは奇遇。公園自体そしてパトリシア・ホテルも戦前大活躍したセミ・プロ野球チーム、我らが朝日軍に密接な関係があるのだ。当時<パウエル・グラウンズ>と呼ばれた公園の前身が朝日軍の本拠地だったし、当時パトリシア・ホテルがスポンサーだったセミ・プロ野球チームは定期的にアサヒ軍と試合をしたものだ。 (当パイオニア・シリーズの第1回、<朝日軍最後の一人>ケイ上西氏のことをご記憶の読者もおられよう。)

 この界隈が市の中心繁華街だった戦前、パトリシアのバーは人気スポットで、伝説的ピアニスト・バンドリーダー・作曲家、彼のジェリーロール・モートンも一時当ホテルに長期的に滞在、階下のバールームでバンドを率いて演奏したものだ。

 インタビューのすぐ前に会った友人のジャズ・ドラマーに「バーニー・アライに会う」と伝えた。すると当地でのジャズ暦50年を超える白人の彼が「ああ、あのジャパニーズ・ドラマーね」と応えたものだ。同氏にとり、ここで生まれ育ったカナダ人のバーニー  なのに何故か「ジャパニーズ」なのだ。特に日系カナダ人、一般的に北米・中南米日系人なら誰でもお分かりだろう。恐らく皆さんが同様の体験しているはずだ。

 バーニーにその件を伝えると苦笑いしたし、その心境もよく分かった。   もう頭を傾げるしかないではないか。昨年就任したカナダ首相トルドー氏も、女性の人権問題に触れて宣言したではないか「今は2015年なのですよ!」と。一体全体、日系人はどうしたらよいのだろう。

  日系人の宿命たるこのジレンマについて、バーニーいわく  「幼い頃は自分はカナダ人だと信じていましたから、日本文化に反抗的な態度をとったこともありました。しかし大きくなって自身の日本との血縁 のことを鑑みて、日本の数千年にもおよぶ伝統文化を理解しようと考えるようになりました。」

 バーニーは若干日本語を話すのだが、最近東京に日本人の奥さんと住むカピラノ・カレッジ時代の同級生、トランペット奏者の旧友を訪れたそうだ。友人はたまたま白人。「おかしかったのは連れ立って買い物に行くと、店員が必ず僕に日本語で話しかけてきました。仕方がないから日本語がわかる彼に通訳してもらう破目に・・・。」

また、日系社会に<クラシック音楽の方がジャズより格が上>という様な偏見がまだあるかとの問いには、「古い世代にはあったかも知れませんが、今の世代にとっては趣向の問題で、 <格付け>とかはあまり関係ないです」由。

 結びに、ジャズをやってみたいという若い人達に何かアドバイスはありますかと訊いてみた。「僕の場合、両親がサポートしてくれ、良い先生方にもつけてくれてラッキーでしたが、ジャズ・ミュージシャンとは<なりたい>と思ってなる者ではありません。どうしても楽器演奏(なり歌)がやりたくて、ひたすらやっているうちになってしまう者です」とバーニー。(私事ながら、昨年齢70歳を越す頃から本気でジャズに取り組むようになった筆者、幸いにも昨今やっと一流奏者達と共演できるようになったが、まさに同感。)

 Bernie Arai氏は6月18日〔土)及び同25日〔土〕の午後3時よりパトリシア・ホテルに於ける “Vancouver STOCK Jazz Festival”の参加バンドの一員として演奏する予定だ。初耳のジャズ・ファンの方々、音楽ファンの方々など、同氏の演奏は<一聞>の価値あり、自信をもってお薦めする次第だ。

バーニー・アライ /  DISCOGRAPHY (Partial)

  • 1997     Another Girl  In The Galaxy  RCA  (drums, percussion)
  • 1999     Ken Aldcroft Trio + 1   His Mistress Never Sleeps    Independent
  • 2001     Various Artists   Magnum Jazz   Presents Live at the Cellar (drums)
  • 2002    Ross Taggert Quartet   Thankfully   Cellar Live (drums)
  • 2002    Sharon Minemoto Quartet   Side A   Cellar Live  (drums)
  • 2004   Brad Turner Trio   Question The Answer   Maximum/Universal
  • 2006   Ugetsu   Live at the Cellar   Cellar Live   (producer/drums)
  • 2007   Altered Laws   Metaphora   Artist  (drums, percussion)
  • 2008   Joani Taylor   In My Own Voice   Westcoast  Records   (drums)
  • 2014   Paul Keeling   Ancient Lights   Independent   (drums)
  • 2015   Bernie Arai   Chris Gestrin   Wabi   Phonometrograph  (drums, cymbals)
  • 2015   Brad Turner Trio   Here Now   (drums, cymbals)

[文・渡辺正樹]