日本で<専業主夫>をめぐる大論争 やはり<男のプライド>が難関 (その1)

 夫婦または許婚同士でも、男女各々の役割に関する考え方は、日系カナダ人社会でも一般社会同様世代ごとに変化してきた。19年前当地に移住した頃「もう五世もいる」と聞いたから、20世紀初頭の一世の時代より21世紀の今日にいたり既に六世の時代に入っているかもしれない。そして、一世たちが日本の新聞記事が載った邦字新聞しか読まなかった100年前から寿司、ラーメンにアニメと日本文化が世界的に<消費>されるようになった現代にかけて、北米日系人が日本文化に受ける影響も多様化し、かつ徐々に薄まっていると見受ける。

 男女の役割をめぐる最大の問題はやはり<誰が収入を確保し、誰が家事や育児を担当するか>だろう。以前触れたが、一世の家庭では日本国内同様、夫が収入を得、妻が家事、育児を切り回していた。夕飯、風呂に番茶一杯まで日本同様、夫が口に出す前に用意しているのが当然だった。北米生まれの二世となると、英語教育を受けている娘は母親の様に父の世話ができるが、口にせずとも<おかしい>と感じ始めていた、とは或る<北米日系人とは?>ウェブサイトで見た。

 戦後、即ち三世がティーンになった時代になると、もう男女同権なる考え方が普及して女の子たちは日本式に男性の<世話>をしようとも思わなくなったそうだ。三世以降、四世、五世と完全に一般社会同様、レディーズ・ファースト、いわば<西洋式>が当たり前になったようだ。そして就職難が慢性的になった昨今カナダでも米国でも<専業主夫>が増えていると報道されるが、日系人夫婦や片方が日系人の夫婦の場合でも増加しているのではないかと推測する。

日本国内ではまだ駐留軍の占領下にあった1950年初頭、親達やラジオのアナウンサーが「戦後強くなったのは婦人用ストッキングと女性だ」とさかんに言っていたのを記憶する。高価で<ハシゴ>が走りやすい(恐らく今時の女性には通じまい)絹製ストッキングに、米国で発明された強靭、しかも廉価なナイロン製が取って代わったことを指したものだった。敗戦後日本国民は米国に民主主義と共に男女同権を<呑まされた>わけだ。

 64年の東京オリンピック後の高度成長期、まだ流行が主に米国から来ていた初期<女性解放運動>の頃から、同調する女性言論人や活動家が出ていた。以降そうした考え方も一般的にある程度受け入れられ一応<市民権>を得るが、例えば芸能界、飲食店、接待業等いわゆる<サンズイ>商売は今日までずっと<圏外>のままだ。「セクハラが嫌ならいつでも辞めろ、後釜はいくらでもいるから」ということか。(これについては洋の東西普遍の<人道的問題>で日本、北米を含め世界中殆ど処を問わず起こっていることだろう。)

 今日本に<専業主夫>が何人いるか実数はつかめないが、厚生労働省の厚生年金保険に関する資料によると、年収130万円未満で妻の扶養にに入っている男性は2013年に11万人だ。男性人口総数から見れば僅かだが、2008年は10万人だったから増え続けているわけだ。また彼らが実際にどれ程家事や育児を担っているかは不明だ。(次号に続く)

(文中の厚生労働省の国民年金データや当事者達の発言は週刊文春2016年3月17日号を参照。)

[文・渡辺正樹]