Geppo Japanese Editor

何でも好奇心「日加貿易」

日本からの加奈陀への最初の入国者は1870年代だったと祖人から語り継がれている。在加同胞の脳裏には上州人で通称『桐生君』という人が明治16年(1883)サンフランシスコから北上して加奈陀入りしたと語り継がれている。『紀州又』や『勘助』も激動の開拓物語を伝道として残している。ススキ龍平、須賀じゅう、北兼和助、クチュウの大工さんの物語りもある。其の頃のBC州内の中心地は船で往来できる港町NW市であった。

こまがた丸事件百周年に寄せて

100年前の1014年には世界史にとって重要な事件が起こっている。世界大戦の勃発である。しかし、 ここカナダにとって、特にアジア系のエスニック・グループにとっては、別の意味での重要な年でもある。すなわち、今年は「こまがた丸(駒形丸)事件」の100周年にあたる。そのため、1880年代以降のアジア系の住民や移住希望者に対する偏見、差別を象徴するこの事件が想起されているのである。

BC州政府による中国系カナダ人に対する陳謝に寄せて

 当地の「サン紙」、「グローブ紙」などメデイアが報じているように、去る5月15日、ヴィクトリアの州議会でクリスティ・クラーク州首相は歴史的な州の中国系市民に対する差別の政策の誤りを認めて、州議会でBC州の陳謝、すなわち、公式の謝罪を発表し、与野党一致でこれを支持する立場が明らかにされた。州議会で承認された決議のなかで以下のように述べられている。

萬蔵が行く(4)

 1923年、萬蔵の最期を郷里の口之津で看取ったのは後妻の多與だった。最初の妻ツヤは1893年、第二子出産の直後に23歳で他界している。その5年後、「京都の古美術商問屋に身を寄せていた美人の多與子を見そめて再婚した」(カナダの萬蔵物語)とある。

何でも好奇心「自転車世界旅行」

サイクリスト安部良さんは2011年(平成23年)に4ヵ月かけて自転車でカナダ横断をした。3年前の3月11日に起きた東日本大震災で多くの国から支援を受けたお礼に顔の見える形で『ありがとう』の気持ちを伝えたい、旅を訪してカナダの人に震災支援への感謝を伝える為に自転車にカナダと日本の国旗を着けた。

日本の憲法記念日に寄せて 「憲法9条の会(VSA9)」が 討論会を予定

 私たちJCCA人権委員会は、平和の問題、特に憲法に盛り込まれた国際平和主義に関心を寄せている。戦争や内乱は人権侵害の最たるもの、そう考えて当地の「憲法9条の会」と協力してきた。戦争や内乱の危機的状況に直面して、時の施政者や一部の市民は自由や権利を制限したり、一時、停止するのはやむをえないと考えがちであろう。しかし、管理社会の考え方から、一時停止が恒久化しない、という保障はない。また自由や権利を一時的に制限しても、後日、それに対する補償を提供すればいいではないか、という考え方も危険である。

カナダにも及ぶアンパンマンの精神

 気候が比較的マイルドなBC州南部に住む私たちは幸い、この冬北米東部、五大湖地域を襲った猛寒波や豪雨に逢った英国南部各地の冠水のような過酷な気象状況を免れた。

バンクーバー日本国総領事館総領事岡田誠司インタビュー

 過去数年にわたって日系カナダ人イベントに参加している方は、岡田誠司総領事に出会ったことがあると思います。岡田総領事は地域コミュニティで活躍しており、その寛大で思いやりのある人柄と、餅つきやサックス演奏会などの多くの行事に進んで参加していることで知られています。

Local Spotlight: Naked Night Bike

主人公MaudeとE.L.は高校時代からの付き合いで、至って平凡な夫婦。日々子作りに励むものの中々子供が出来ないでいた。 ある日、妊娠テストの結果がダブルライン(つまり妊娠)と出てMaudeは興奮を隠せない。医者での血液検査で確認をとった後、E.L.に知らせるつもりでいたが、職場のちょっと図々しいTraceyにうっかり妊娠の事を話してしまう。

萬蔵が行く(3)

かつて幼児の子守りは、祖父母か年長の娘の役割だった。だが、徒手空拳で移民して来た人たちに祖父母を呼び寄せる余裕はなかった。だから、幼い二世を日本の親元に預けて高等小学校を終える頃まで面倒を見てもらうというケースが多かったようだ。その間、移民親たちは身を粉にして働き養育費を親元に送り続けたのである。そして養父母はその仕送りを当てにしていた。

移住者の活躍する団体「桜楓会」

今から12年前の2002年はグレーターバンクーバー移住者の会の創立25周年記念でお祝いの1977-2002特別誌が発行された。日系移住者の90%以上が加奈陀の西部BC州の太平洋沿岸地域に定着し、1889年に加奈陀に初めて日本国領事館が開館した。当時の加奈陀在留邦人は300人だと伝えられている。日本からの女性第1号移住者はシシド・ヨウさんでオオヤ・ワシジさんの妻になる為に渡加し、1889年にオオヤご夫妻に加奈陀最初の日系2世が誕生している。