人種差別撤廃のための国際的記念日に寄せて

Fumiko-ID-Back

 3月21日は人種差別撤廃のための国際記念日である。1960年のこの日、武装していない黒人男性、女性、子供たち69人が殺され、180人が負傷した事件を記念するために国連が定めたものである。平和的な集会に警官隊が発砲し、その場を逃れようとした大勢の人々は背後から撃たれた。このように恐ろしい人種差別の事件は南アフリカの黒人居住区、シャープビルで黒人隔離政策「アパルトヘイト」反対のデモの際に起こったものである。過去55年間に私たちは多大な進歩を獲得したが、毎日の報道に接するたびに、多大な苦難を経験した人々の努力によって勝ち得たものの中には、時には逆戻りしたり、失われたりするものもあると思われることがある。

 民族的起源に基づいて一部の人々を槍玉にあげることは、第二次大戦中に日系カナダ人が経験したことである。私たちは「また再び起こってはならない」と発言しているが、またもや恐怖心を煽る声が聞かれ、「外国人が問題を起こしている」という発言も聞かれるようになった。約2万2千人の遵法精神を持つ日本に起源を持つカナダ人(その大部分がカナダ生まれ)が監禁されるという誤りが犯された。そのようなことが不当であることは昔も今も変わらない。 

 特に憂慮すべきことはカナダ政府がそのような人種を分別する処置に没頭していることである。二月にはイスラム系の全国的組織、二団体が、政府のテロリズム対策の法案C51号に関連して、首相がモスク(イスラム教礼拝堂)とテロリズムとのつながりに言及したことに対して憂慮を表明している。 

このC51は13の法律を改定しようとする62ページの包括的な法案で、政府にたいする歯止めの規定を強化することなしに政府に強大な権限を与えようとするものである。

Notice-to-All-Japanese この法律によって、インフラストラクチャーや経済的安定に干渉する人びとは国の安全を脅かす者と見做されることになる。この長文の法律案に含まれる包括的な表現によって、政府は、国の経済、環境、社会政策に挑戦していると見做される人びとをスパイし、逮捕し、監禁できるようになる。この法律によって、南アフリカの「アパルトへイト」の「身分証携行の法律」を批判するため、シャープビルの反対運動に参加したような人びとがテロリストと見なされるのではないかと懸念する人がいて当然だろう。

 無制限な情報交換に関する連邦の両査問委員会の結論に留意することなく、この法案は情報交換に関する制約の緩和を認めようとしている。比較的最近の事件として、アラブ系カナダ人のマハル・アラル(Maher Arar)はシリアで不当な禁固と拷問の憂き目にあったことが思い起こされる。

 セキュリティすなわち安全保護と私たちの権利とのどちらかを選ぶかという二者択一があるのではない。そこでは罪の無い子供や女姓、男性をパールハーバーを爆撃した人びとと外見が似ているという理由で監禁するために用いられたのと同じ誤った議論が繰り返えされているのである。

 人種差別は政府や団体組織の決定や政策に限られたものではない。それは私たちの職場、メデイア、学校、大学などにおいても見うけられるものである。

 今年になって、ニューブランズウィク大学の教授によるアジア系市民や移住者を非難するコメントを知って、私たちはショックを受けている。同氏の言い分の中には、アジア系の人びとが「あまりにも急速にそして短期間に」やって来るより以前には、バンクーバーは「美しいイギリス風の都市」だったという発言がある。私はBC州住民の第4世代で、家族は1890年代から1906年にかけて日本から移住してきた。だから、アジア系の人びとすべてが何世代にもわたって重要な貢献をしていることや、当地には私たち全てがここに移住してくる前から先住民が定着していたことを、同教授が都合よく忘れているのだ、と私は指摘したい。

3月21日の記念日にあたって、私たちはすべての人を包含するという見方を支持すべきだろう。さらに私たちは地域社会の中での多様性を支持する日常の機会を利用しなければならないし、人種差別を見たり聞いたりした場合には、それに挑戦しなければならないだろう。職場の同僚、友人、あるいは家族の言い分、権力の座にある人びとによる誤った政策やメディアに現れた人種差別的な発言などを認めたり、受け入れたりしてはならない。繁栄し、すべての人を包括する社会こそが私たちすべてに利益を齎すものなのだ。

[文・ロレーン・及川、訳・鹿毛達雄]