レポート:ジョージ・タケイの来訪と講演

ジョージ・タケイ氏の講演に出席した著者とカンバーランド議員のロジャー・キシ氏

ジョージ・タケイ氏の講演に出席した著者とカンバーランド議員のロジャー・キシ氏

 2014年におけるバンクーバーでの催しのハイライト―そ のひとつはジョージ・タケイ氏の当地来訪であった。同氏はテレビ・シリーズ「スター・トレック」のなかでヒラク・ズルの役を演じたことで広く知られている。同氏はアジア系の役を型にはまったものではなく、ポジティブな人物として演じた最初のアジア系アメリカ人の一人である。しかし、同氏は単なる俳優ではなく、監督、著述家、そして政治・社会問題の運動家としても活躍している。タケイ氏は去る11月にQ.E.劇場で独り舞台を演じた。司会者もなく、座る椅子も無い舞台で、77歳の同氏は個人的な生活や職業の経験を語って、観客の笑いや涙を誘った。
 同氏は子供のころの経験を次のように語っている。兵士たちが「パールハーバーを爆撃した人たちと似ているという理由で」同氏の家族の家にやって来た。一人の兵士は、母親が手間取っていたので、痺れを切らし家の中に入り、母親を屋外に連れ出した。母親が頬に涙を流しながら兵士と共に外に出てきた。その時、片方の腕には赤子の妹を抱え、もう一方の腕には大きなダッフル・バッグを下げていた。「当時5歳だった私が経験したそのときの光景をこれからも忘れてしまうことはないでしょう。」 さらに、タケイ氏はアーカンサスの沼地での「鉄条網に囲まれた」収容生活やその後のカリフォルニアへの家族の帰還と生活の再建について語った。
 同氏は子供の頃、「アメリカの民主主義とは庶民の民主主義」であること、そしてそれが「最良の理想を堅持する善良な市民」に支えられていることを父親から学んだ。同氏の父がボランティアになるようにと「計らい」、アドレイ・スティブンソン(二世)の民主党の運動本部で働いたことがある。エレノア・ローズベルトに会ったこともある。その後、マーティン・ルーサー・キングJr.と共にデモ行進に参加した。
 さらに、日系アメリカ人のための補償の運動にも参加する事になった。同氏はアメリカ議会の委員会で証言したことがある。そして、1988年には日系アメリカ人が大統領の陳謝を獲得したが、不幸なことに、タケイ氏の父は1979年に亡くなっている。「父がそれを経験出来たらどんなによかったことか」とタケイ氏は嘆いている。
 2005年にカリフォルニアのアーノルド・シュワルツネガー州知事が選挙公約を裏切って同性結婚法案の承認を拒否したとき、タケイ氏は“煮えたぎるような”憤激を覚えた。同氏は「パートナーのブラッドと相談の上、初めて自分がゲィであることをメディアを通じて公表した」と語っている。
 その晩の当地での催しの予想外の展開は同氏が観客にスポットライトを当てて、対話、観客の参加を求めたことにあった。その機会に私は立ち上がってマイクに向かい、JCCAを代表して同氏のバンクーバー来訪を歓迎すると発言した。そして同氏が家族の強制収容の体験に触れたことにも感謝の意を表した。その際、私自身が四世で、私の家族はどちらの側にも収容体験があることに触れた。さらに、「そんなことはすべて過去のことで、私には関係がない」と言う人に時たま出会っていることにも言及した。
 さらに私は、9・11事件の後に体験したことに触れ、日系カナダ人、日系アメリカ人が共に特定の人種に対する非難に反対して発言していることを誇りに思うと述べた。私の質問は、強制収容や歴史的な人種差別について語るべきではない、と言っている人たちに対して、タケイ氏だったら「どう対応しますか」というものであった。
 同氏は私たちの経験を分かち合うことが重要ということに同意した。同氏は2001年にアラブ系アメリカ人が非難・攻撃の対象となったことに「非常に憂慮」した。そして「私たちはそこに60年前に起こったことの寒気がするような残響がある理解している」と述べている。当時、日系アメリカ人は声高に発言し、タケイ氏もその設立に参加している日系アメリカ人ナショナル博物館はアラブ系アメリカ人との連帯を内外に表明するために、その人たちを招いて集会を催したのである。
 タケイ氏からそうした催しについての説明を聞いたときに、その当時、ロスアンジェルスで行われた蝋燭を灯した夜の集会の映像をウエッブサイト上で見たことを思い出した。そしてさらに、当時、イスラム系のゲストを招いて行われたJCCA人権委員会のワークショップに参加したことも思い出した。カナダとアメリカの日系人にとって9・11事件以後に起こっている人種的な攻撃は自分たちの民族的、人種的起源ゆえにキャンプに収容監禁された事件のぞっとする様なデジャ・ヴュだったのだ。
 「民主主義においては私たちは維持・継続すべきだと思うものを維持・継続するのだ」というタケイ氏の言葉に私も同感であった。私たちには大勢の人に伝達し、人々を教育し続けて、過去の誤りを繰り返さないようにする必要があるのだ。
 時間切れのために、オタワにおける兵士への銃撃事件の例に触れて話し合うことが出来なかった。しかし、明らかなことは、私たちが理解しようと努め、恐怖に基づいて反応すべきでないということである。第二次大戦中、カナダ、アメリカの両国政府は恐怖心を利用して市民の権利、財産、自由を侵害剥奪した。その対象となった人々の「罪」は単にパールハーバーを攻撃した人々と似ているというところにあった。悲劇的な事件を国民の権利を剥奪するために利用するよりもはるかに大切なことがある。すなわち、私たちは格差の拡大、精神保健問題へのサービスの不足、人々の分裂を目論む人種主義の排除、克服などの問題に目を向けるべきであろう。
 ソーシアル・メディアを通じて何百万ものタケイ氏に関心を持つ人びとがいる。そして、反動的,逆行的な政治や、人権、特に ゲイ・レスビアン(LGBT)の権利の侵害、正義に悖る政策などをユーモアを交えて批判していることでファンに人気がある。タケイ氏は フェイスブック掲載の自分の経歴の中で次のように言っている。「私のことをミスター・ズルとして知っている人が大勢いるしょう。しかしながら、私のことを人類すべての平等と尊厳を信じ、そのために闘っている人間として皆さんに知っていただくことを希望しています。」彼のファンはこれに同意し、「タケイであることでOK、問題ありません」と応じるだろう。

[文・ロレーン・及川、訳・鹿毛達雄]