この素晴らしき世界

渡邊正樹

I see trees of green, red roses too

I see them bloom for me and you

And I think to myself what a wonderful world.

 去る1967年、あのルイ・アームストロングが歌う<この素晴らしき世界(What a Wonderful World)>が世界的メガヒットとなった。以降大勢の歌手にカバーされ、スタンダード曲として定着したが、その歌詞のように薔薇の香りが漂い、人々がいつも幸福でニコニコしているような世界だったら、と想像することがある。先月号で述べた楽天主義に通じるのだが、天下泰平と安心しているが如く装うだけでも、幾分良い雰囲気なりエネルギーを発散するのではないか。少なくとも、現在地球上で起こっている酷いこと、汚いものに注目し、そっちばかり気にしているよりは。

 前回触れた<紛争発動機トリオ>、即ち人種、政治と宗教のことを覚えていらっしゃるかもしれないが、時と場合によっては、その一つを語ることさえ許される。<またか>とおっしゃるかもしれないが、人種の件です。答えは簡単、言い古された事柄でも良い、ひたすら長所だけ挙げればよいのだ。そこで思いつくまま、各国の人々の好ましい特徴をあげてみる。

 概して質素堅実、礼儀正しくて思い遣りのあるカナダ人の社会で暮らせるのは幸運だと思っている。それを象徴する人物と言えば、カナダ最大の英雄の一人、BC州Coquitlam出身の陸上選手かつ慈善活動家、故テリー・フォックスだ。彼はガン研究基金募集のため片足を手術で失くした身体でカナダ横断マラソンに挑戦した青年だった。また、当人は否定するだろうが、多くのカナダ人にとって環境保護運動家デイビッド・スズキも一種の英雄だろうし、多くの日系人にとっては<あくまで密かな>誇りかもしれない。

 また、アメリカ人の冒険心に富む開拓精神も昔から尊敬してきた。その精神を体現するヒーローとして、1969年に月面着陸を果たした宇宙飛行士たちや、1976年に自宅のガレージで開発・製造したアップル・コンピュータを売り出したスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックを挙げたい。

 個人的にメキシコの人々と文化との接触は限られているが、国際通信社の記者として取材陣に加わった1968年のメキシコ市オリンピックの時の素晴らしい体験、短期のリゾート滞在、その他ホームステイで泊めた英語の短期コースで訪れた学生や、たまたま一緒になる在住メキシコ人との交流といった経験がある。印象としての国民性は、名誉と自国文化への誇り、そして数世紀にわたり旧スペインの植民地として耐え忍んできた根強さを感じさせる。

 キューバの人々とその音楽や美術に対しては深い敬愛の念を抱く当方だが、それは二度程訪れた時の強烈な印象を中心に育まれたものだ。一回目は1978年、若者向けの国際文化フェスティバルがハバナで開催された際に参加した日本諸団体に通訳として同行し3週間滞在した。二回目は2003年、家族と共に観光パッケージ旅行で有名海岸リゾート、ヴァラデロに一週間ほど滞在したもの。首都ハバナから車で数時間の同リゾートはカナダ人、南米人やヨーロッパ人に人気がある。  二度の滞在中<友達>になった二、三名のキューバ人たちは、いずれも知的好奇心に溢れ、どれ程貧しくても個人的な威厳を保ち、自国の文化に誇りを抱いていた。キューバ音楽ひとつを例にとっても、北・中・南米を通じてどれ程の影響をポップスやジャズに及ぼしてきたか、始めるときりが無いのでここで止めておくが。 

 今日ここブリティッシュ・コロンビア州においてお陰様で充実した生活を営むことができるのも、もとを質せば、通信社記者の父が同地に赴任していた関係で10歳から14歳までロンドン郊外で学校に通った結果かもしれない。身についたのは英語のみならず、英国人のフェア・プレー(公明な、正々堂々とした行動)精神とスポーツマンシップに基づく価値感だったようだ。かつて英国が世界各地の民族を植民地として支配し、その文化に影響を及ぼしたのもこの価値感に負うところが大きいのではないか。これらの民族はいまだ民主主義、法治制度と人権という基本価値感を分かち合うコモンウェルス(旧英連邦)諸国を形成している。一家で移住して17年になるカナダは加盟国だし、その前16年間暮らしたシンガポールもそうだ。

 生まれ育ち、学生時代と働き盛りの一時期を過ごした日本以外、人生の3分の2近くを、馴染み深い価値感が概ね尊重されるこれらの国々で過ごしてきたわけだ。例の英国人特有の自虐的ユーモアのセンスを盛り込んだ洗練された会話術も評価すべきだろう。会話が弾むのだ。本日のお天気だけの話題であかの他人と長々と話し込む話術において英国人の右に出るものは?そう言えば、ここBC州の人たちもそうではないか。ロンドンのように鉛色の空と雨天の日々が多い事と英国からの移住者がかなり居る事も関係あるのではないか。 

 次にフランス人だが、その美術、文学や洗練された料理について語られる数々の素晴らしさに付け加えられることがあるとしたら、1960年代末から70年代パリで生活して頃の経験の些細な経験くらいか。学生、アーティストや観光客が集まるサン・ミッシェル通り付近の街頭である日クラリネット奏者の友とギターを轢いていたら、身なりのいい紳士が路上のギター・ケースに10フラン札を置き「何と美しい音楽だ」と言ってくれた。いいなあ、と感じたらすぐ行動に出るところが嬉しかった。 また皮肉なユーモアのセンスも面白い。ある時メトロ(地下鉄)のホームで電車を待っていると、入ってくる列車の運転手がホームに立っている少年たちに「ほら、飛び込んでもいいんだぜ」と言わんばかりに右手でジェスチャーをしていた。ユーモア混じりに「ちゃんと見ているからね」と伝えていたのだろう。

 アフリカの人々との付き合いは余り無いが、パリに居た頃ナイジェリア、タンザニア、マリ、セネガルなどの国々出身のミュージシャンや、その仲間との交歓、交流がかなりあった。ある日、アメリカの黒人ミュージシャンの友とほっつき歩いていた。2人とも無一文でその日は何も食べていなかった。その時にたまたま鉢合わせしたティトというタンザニアの音楽・舞踊グループの団長が付近の自宅に招いてくれ、「Mangez mes enfants! 子供たち、お食べ!」と言いながらお残りのライスとチキンの煮物を出してくれた。ガツガツ食べながら今までフランスでいただいたもので一番美味しいと感じたのを覚えている。

 ドイツ人は勤勉、秩序正しさ、優秀な技術などが長所とされる。退社した後のムチャクチャなパリ生活中のある時、2人のドルトムント出身のヒッピーを、家賃滞納のため近々追い出されることになる自宅に一週間ほど泊めたことがあった。滞在を終え出発する前にその二人は汚くなっていたアパートの大掃除をしてくれた。それこそトイレの便器までピカピカになるまで。そのアパートには各国の若い男女を泊めたが、感謝の意を労働奉仕で具体化したのは彼らだけだった。

 この<素晴らしき世界>の他の民族の人たちとの経験については、次号で続けたい。

[次号に続く]