「従軍慰安婦」問題をどう見るか - 河野談話に寄せて

2003年3月に当地を訪れた戦争被害者と共に。中央の白衣の人が韓国出身の元従軍慰安婦。(写真提供:BC ALPHA)

2003年3月に当地を訪れた戦争被害者と共に。中央の白衣の人が韓国出身の元従軍慰安婦。(写真提供:BC ALPHA)


 1993年8月4日、河野洋平内閣官房長官は「従軍慰安婦」問題にかんする談話を発表した。この談話は日本の近い過去の反省やその後の日本の歩みを考える上で基本的な資料のひとつである。20年以上前のものだが、最近、日本の対外関係、特に近隣諸国との関係が難しくなっている時、想起に値するものである。河野氏は次のように言っている。
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設立され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設立されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。」「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちをわが国としてどのように表すべきかと言うことについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。」(抜粋)(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html)
 この談話は「 従軍慰安婦」問題にかんする当時の日本政府の公式見解を示すものである。これの作成にあたって、韓国政府との緊密な意見の交換・調整があったと伝えられている。しかし、この問題はかって日本の植民地であった朝鮮(韓国)に限られたものではない。日本が侵略し、占領した中国や東南アジアでその地域の女性を本人の意思に反して日本の軍隊や民間人のために性的サービスを強制した事件でもある。なお、そこにはその当時植民地であったインドネシア在留のオランダ人の女性も含まれている。現地の女性たちが本人の意思の反し、強制的の連行され、性的サービスを強制されたという重大な人権侵害として注目する人びとはこれを「性奴隷」と呼んでいる。談話の中で言われているように、「多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題」であったのなら、国際法に違反し、戦争犯罪を犯したことになる。そうであれば、犯罪の承認と謝罪や損害賠償が問題となるのが当然であるが、河野談話ではこの点に関する日本政府の立場は明確にされていない、という問題が残されている。(参照:吉見義明『従軍慰安婦』、岩波新書、1995年。)

残された問題
 1951年にサンフランシスコ講和条約が締結された。講和会議に招かれず、したがって調印していなっかた韓国や中国などとは、その後の個別の国交回復条約などによって関係が正常化されている。講和条約や国交回復条約などには、何らかの損害賠償の規定が含まれ、そしてそれによって賠償問題が解決したと合意されるのが慣例である。
 その点からして、従軍慰安婦の問題は例外的なものである。なぜかと言うと、国交回復に関する条約の締結の時点で、そしてその後も問題の存在が一般にはあまり知られていなかったし、公的な場で取り上げられることも躊躇されていたからである。当時、多くの慰安婦体験者は自分の経験が周囲の人びとに知られて白眼視されることを恐れて、沈黙していた。しかしやがて、体験者が「カミングアウト」して、その被害経験を公に訴えるようになった。1990年代になってからのことである。日本政府が国会で「『慰安婦』は民間業者が軍と共に連れ歩いた」と答弁したことを知った韓国の金学順(キム・ハクスン)さんは憤慨し、1991年8月にかって慰安婦であったことを公言し、それを内外のメデイアが取り上げ、問題が広く知られるようになった。そして、金さんなどは1992年末に日本政府に謝罪と賠償を求めて東京地裁に提訴している。それがきっかけとなって、アジア各地で被害者が名乗り出て、日本の裁判所で国を相手とする裁判を起こしている。しかし、この件を含めて、戦時中に蒙った被害の賠償を日本政府を訴えても、講和条約や個別の国交回復条約などで解決済み、さらに、時効であるという政府の立場が裁判所に認められて敗訴している。{参照:田中弘他著『未解決の戦後補償―問われる日本の過去と未来』、創史社、2012年。}
 慰安婦問題については その後、1995年に財団法人「アジア女性基金」が民間の資金と政府の経費負担によって設立された。そしてこの非政府機関が2007年に解散されるまでに、韓国や台湾、フィリピンでは元慰安婦の人びと285人に一人当たり200万円の「償い金」(当初は「見舞金」と呼ばれていた)が支払われている。しかし、たとえば韓国では、これが政府の資金からの賠償金ではないことや国会決議などに基ずく正式な謝罪でないことに反発する多数の被害者が受け取りを拒否している。

1993年、ウイーンで行われた国連世界人権会議で証言する2名の韓国人元従軍慰 安婦。 (写真提供:鹿毛)

1993年、ウイーンで行われた国連世界人権会議で証言する2名の韓国人元従軍慰 安婦。 (写真提供:鹿毛)


国際的批判への対応
 それ以外にも、日本の対応については国際的な批判が絶えない。例えば、数年前の2007年には、カナダや米国の議会、ヨーロッパ連合などでは、日本に対してこの問題の解決を求める決議を採択している。
 韓国ソウルでは日本大使館前で抗議集会が毎週おこなわれていて、1000回を超えた。そこに慰安婦を記念する少女像が設置されていることも知られている。少女像の複製はすでに米国の二箇所でも設置されている。当地、バーナビーでも韓国の姉妹都市から少女像の寄贈を受けて、韓国系の人びとの間で設置のための資金募集が始まっている。しかし、この計画に対して、移住者と思われる当地の日本人のグループが市議会に反対の意思を伝えるために署名運動を始めている。
 しばらく前のこと、2012年11月に日本の国会議員39人の連名で米国の新聞にこの問題に関する意見広告を発表している。その賛同者として、安部晋三首相や閣僚の名前が含まれている。(http:blogos.com/article/53481/ 2013年1月6日の記事)その中で「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されたとする歴史的文書は . . . 発見されていない」「慰安婦は『性的奴隷』ではない」などと主張し、強制性や日本政府の責任を否定しているが、その点で、冒頭で触れた河野談話の内容を見直し、否定するものである。  
 当地の少女像設置に反対する立場もこれと軌を一にしている。河野談話は20年以上前のこと。その後、現在に到るまで、何も学ばず、むしろ過去の誤りを否定し忘れることによって、時計の針を逆転しようとしている国政の指導者、そしてその立場を全面的に支持する一部の人びとがいるのは残念なことである。
(お断り:この文章は私の個人的見解を記したもので、GVJCCA、あるいはJCCA人権委員会の見解ではないことをご承知いただきたい。)

[文・鹿毛達雄]